ハロー エモパー

スマホが壊れ、機種変更しました。
新しい携帯に「エモパー」というアプリが入っていて話しかけると答えてくれます。

例えば
「ハロー・エモパー。今日の天気は?」
「今日の山科区の天気は晴れ時々曇りになるそうですよ。」

これなら類似の機能をもつアプリはたくさんありますね。
でも、エモパーはおしゃべりで無駄口をたたきます。

例えば
「海に行きたいな。夏だもんね。」とか、

話題のニュースを紹介してくれたあと、
「あ~ うまく話せた。また たかさんのための話題を探しますね。では、さらばじゃ!」とか。

昨日はクレープの日って知っておられましたか?
毎月「9」がつく日はクレープの日だそうです。
とすると、年間35~36回もあります。
ちょっと欲張りすぎ?(笑)

エモパーは昨日がクレープの日であることを紹介してくれたあと、
クレープだけに「誰かに包まれるより、誰かを包み込むような人でありたい。」なんて言っていました。
深イイ!ですよね。

そう思いながら気づいたことがあります。
そう。
「人でありたい」というエモパーの言葉を違和感なく受け入れている自分がいることを。

用件とそれに対する答えのやりとりはどこか機械的です。
しかし、思いもよらない「無駄口」こそ会話の重要な要素です。
エモパーに「人」を見ているのはそのあたりなのでしょう。

いま、AI(人工知能)がよく話題にのぼります。
おそらくそう遠くない未来に私たちは、鉄腕アトムのような機械と楽しく会話をしていることでしょう。
でも、そのような素晴らしい機能が、平和のためにだけ利用されることを強く望みます。

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お酒

私はたくさん飲みそうな体型をしているのですが、実は晩酌はしません。
酒がなくてもお茶さえあればOK 。
でも、飲むときはしっかり飲めます。

若いころは飲み方がわからず、結構無茶をしました。
意識が飛び、気が付いたら自宅のトイレを朝まで抱っこしながら眠ったこともしばしばです。
(・・。)ゞ
でも、こんなふうに、お酒に挑戦しお酒と喧嘩するような飲み方は年齢を重ねるうちに次第になくなり、いまはほろ酔いでストップできる大人になりました(笑)
それとともにお酒を楽しめるようにもなった気がします。

酒飲めば
心はいつも春霞
借金取りも鶯の声

なんてね。

仕事は忙しく、また母の付き添いでちょっと疲れました。
風呂上りにたっぷり「お茶け」を飲みました。
今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい。

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お見送り

先日、子供と食事に行った帰り、表まで出てスタッフさんが私たちを見送りしていただきました。
丁寧にお辞儀していただき、私たちもご馳走さまと別れましたが、100mほど歩いて子供が振り返ると、まだ見送っていただいていることに気づきました。
私も振り向き、大きく手を挙げ「ありがとう」とご挨拶して帰宅しました。

私がこのような見送りを初めて受けたのは、商工会議所青年部に籍を置いていたころ、ある会社の社長さんを訪問した帰り際です。
会務について私の疑問や不安に丁寧にお話を聞いていただき、少し気持ちが楽になったお礼を申し上げて会社を後にしました。

社長が玄関までお見送りいただき、そこでお別れしましたが、私が次の角の曲がり際、何気なく振り返るとまだ社長は私を見送っていただいていました。
私に素敵な笑顔と共に、ご丁寧にお辞儀いただき、私は恐縮と共に感動したのを覚えています。

その社長さんは株式会社 京額 社長 岩滝絵美子さんです。
(http://kyoto-kyogaku.com/top/)

岩滝さんとは会を卒業されて以来、疎遠になっています。
しかし、25年近くたった今でもそのお見送り頂いた姿と共に、岩滝さんのことが心に残っています。

もうひとつ、お見送りのエピソードをご紹介しましょう。
人は誰もが出会いの時は丁寧に挨拶をします。
しかし別れ際、ほんとうに名残惜しそうに相手の目を見て心を込めた挨拶をされる。
それに誰もが魅了され、彼のファンになったそうです。
それはアメリカ大統領 ビル・クリントンさんです。

先の飲食店のお見送りも、もしかしたら無駄なサービス、やりすぎなどの意見もあるかもしれません。
しかし、お商売は、お客様にどれだけ感動を与えお店のファンを増やすかにかかっています。

そのお店に、ご挨拶という小さな行動の大きな効果を、改めて勉強させていただきました。
ありがとうございました。

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良寛さま

以前、日経新聞の「春秋」に良寛の句がのっていました。
日経はこの句を引用してえん罪がおこる背景に検察が裏をみせないことを指摘しています。
でもそれってこじつけで、実は恋の歌なんじゃないかな。

裏を見せ
表を見せて
散る紅葉

必要最小限のものしか持たず、日々の糧を乞食でしのいた69歳の老僧 良寛は、29歳の貞心尼と恋に落ちます。
この恋は僅か数年しか続しません。
良寛が73歳で亡くなるからです。
この句は、良寛が亡くなる前の大晦日に貞心尼あてた句であるとか。
自分のよいところも、悪いところもすべて知った上で受け入れてくれた幸せを、貞心尼に伝えてるんでしょうね。

人の幸せは物なんかではなく、心の充足こそ一番である。
良寛様の生きざまから、そんなことを感じる私なのであります。

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「うそ眠」  その後。

これは2012年11月に書いたブログです。

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眠ったふりをすること、みなさんは何て言いますか?

うちのあたりでは「うそ眠」 (うそね)って言っています。

 父が大けがをして当時5歳の私はしばらく、親せきに転々と預けられていました。

農家の叔父の家では朝早くから働いているので、昼食がすむと昼寝をします。

座敷に枕を並べて眠るのですが、いとこ達はそんな退屈な時間をじっとしてるはずもなく、こっそり起き出して庭を遊び回ります。

でも預けられるとき、母からくれぐれも叔父さん達の言うことを聞くようにと言いつけられていた私は、遊びたくても頑なに言いつけを守らねばと、叔父・叔母の間でうそ眠をしていました。

 子供がうそ眠をすると、瞼がピクピク動き、おきているのがバレバレ。

それが何とも可愛いですが、私もそんな風にしながら恐ろしく退屈で長い時間をうそ眠をしてすごしていたんでしょうね。

 ところで、入院中の母はもう身体はほとんど動かず、右目と唇が僅かに動く程度となってしまいました。

私はできるだけ病室に行って、蒸しタオルで身体を拭いたり、スポンジで口を洗ったり、時にはドライシャンプーで頭を洗ったりと何か少しでも楽にならないかと色々試しています。

 ひとしきり終わったら、今日あったことや骨折による入院で完全に車いす生活になった父のことや3人の娘達のこと、母のあとを引き継いで私が事務長をしている障害者施設のメンバーのことや一緒にがんばった田んぼのことなど思いつく限り話します。

最近は話しているうちに母は眠り、それを相図に私は帰宅します。

私には妹がいて、彼女は母の唇の動きを読むのがとてもじょうずなのです。

昨日、病院の駐車場で妹と入れ違いになり、母が眠ったことを伝えて帰りました。

先ほどその妹から電話がありました。

お母さんは私が行ったら目をぱっちり開けてはったよ。

お兄ちゃんがお母さん眠ってるって言ってたで、と声をかけたら

『うそ』やて。

『つかれてる』て。

あんたが忙しい・忙しいてお母さんに言うから、気を使かって「うそ眠」してはるんや。

うそ眠して早く帰らしたろって思ってくれたはるんやわ…

母のうそ眠はピクリとも瞼を動かさず見事なものでした。

そんな身体になっても、50歳をすぎた息子を思っていただける母の優しさが、ありがたくまた申し訳くて涙がとまりません。

もう忙しいと言って気を遣わすまいと思う私なのでした。

今の私は余裕がなさ過ぎます。

ちょっと役を整理して時間をつくらんとあきません。

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今日、母の見舞いに行くといつも通りお湯で顔や手足をふきました。

すると久しぶりに目を開けてくれました。

数秒間でしたが私の顔が見えたのか、唇を震わせ涙が一筋、頬をながれて行きました。


先日来、私は友人から疲れた顔をしていると言われています。

せっかく久しぶりに私の顔を見てくれたのに、疲れた顔をして心配をかけたのではないかな。

見舞いに来るときは元気な顔で来てやろう。

「うそ眠」のブログを思い出しつつ、そう決意した私でした。


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「3010運動」

とうとうお気に入りのスマホの調子が悪くなり、機種変更をしました。復旧に手間取り、昨日からブログの投稿ができませんでした。
すみません。

さて私は10年ほど前、中国である家庭に一泊させていただいたことがあります。
真新しいマンションでまだ若い官僚のご夫婦とお子さんが1人の家庭でした。
夕食は大変なご馳走で、とくに水餃子がとても美味しかったのです。
たくさんお皿にもっていただきましたが、美味しさとともにご厚意を無にしてはならないという思いもあって何とか完食しました。

するとまたお皿いっぱいの餃子を持ってきていただく。
また食べる…
もうお腹いっぱいなのに、食卓に同席していたご主人までもが奥様と共に台所に立たれ、また水餃子を作り始めます。

さすがに限界なのでもう食べられませんと、片言の英語とジェスチャーで伝えると、やっとお二人は餃子を作るのをやめて席に戻ってこられました。

それまで私は知らなかったのです。
中国ではお客様が食べ残してくれるまでお料理を出すのがおもてなしであるということを。

あのご夫婦は、日本から来た男が出しても出しても水餃子をパクパク食べるので慌てて追加を作られていたのです。
申し訳ないことをしました。

ところで私は戦争中、食糧難の時代を生きた両親に育てられましたので、食べ物を粗末にすることを厳しく戒められました。
おかげで基本的に出された物は完食してしまいます。
食べ物を残せないので、お腹の贅肉がたっぷりついてしまうのは致し方ないことですよね(笑)

ところで現在、日本では一年間に食べ残しが600万トン余りあり、食品ロスとして廃棄されています。

さすがにこれはダメですよね。
富のある人間は食料を買いあさり、その多くを食べずに捨てる。
貧しい民は食料を手に入れられず飢えて亡くなる。
そんな不平等な関係の中の、飽食側にいて暮らしている私たちが、せめて食べないで捨てる分まで買いあさらなければ、価格は下がり貧しい民にも食料が供給されるはずです。

こんな状況を受け、無駄を無くすためにいま全国の宴会で「3010運動」が展開されています。

これは
・適量を頼む。
・食事開始の30分、終わりの10分は自分の席で食事する。
・食べられないものは早めに食べられる人に譲る。
・食べ残しはしない。
というもの。

先にお話ししたように、中国のお客様に対する思いやりはとても素敵です。
しかしこれからは世界の貧しい食べられない子供たちへの思いやりを以て「mottainai」の精神で食事をしたいものですね。

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横文字

先日、母の携帯を解約してきました。
寝たきりで人工呼吸の母にはもう2度と使えない。
それでも解約するのは誰かと繋がっている糸をきるようで忍びなく、6年間は解約せずに置いておいたのですが、何年も着信がない電話なので思いきって解約した次第です。

元気な頃の母はおしゃべりで、この携帯もフルに活用していました。
携帯を手に取っているとおもしろい会話を思い出しましたので紹介します。

この日記の登場人物
A 私
B 母 ってことで・・

B 「あ~、私やけど」

携帯をもったころの母は色々かけてみたいらしく、よく電話をかけてきました。

携帯はもちろんシルバーフォン。
画面が大きい。
着信音も通話の音もでかい。
ついでにボタンもでっかいのでお年寄りには使いやすいみたい。
そのワンタッチダイアルの一番目が私の携帯なんです。

A 「何? どうしたん?」

B 「雨が降ってきたし迎えに来て。」

A 「今どこよ?」

B 「お友達のとこ。大通りの『ろいやるポスト』の近く。」

『ろいやるポスト』?
ロイヤルホスト(「宮廷のもてなし役」)ってゴージャスな名前のお店が、「宮廷の郵便箱」ってチンケな店に変わっとるやん。
おまけに、もう何年も前に閉店して他のテナントが入ってるし。

ああ・・
Bにもとうとう来るべき病気がやってきたか・・ (笑)

気を取り直して

A 「今日は大雨やて言うてるのに何しとったん。」

B 「友達とフキンシップや。」

布巾で湿布?

(ー_ー) それも言うならスキンシップやろ・・

きっと真面目に先生の教えを守ってきた幼少時代やったんだと思います。

横文字なんて敵国語だから使っちゃダメよって(笑)

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小関越えのお地蔵さん

これやこの
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
逢坂の関

京都から近江へ抜ける街道は蝉丸の歌でも知られる逢坂の関が有名です。
これを「大関」と呼ぶのに対し、藤尾から大津京に抜ける間道を「小関」と呼びました。

小関峠の頂上付近に小さなお地蔵さんが安置されています。
私が小学生の頃、この小関超えの間道が車も通れる道として整備されました。
その際、工事中に見つかったのがこのお地蔵さんです。

お地蔵さんは昔、幼くして亡くなった子供の身代わりとして、その苦しみから救うという地蔵菩薩を祭ったもの。
このお地蔵さんにもそんな悲しい歴史があり、長年土の中に埋もれていたのかもしれませんね。
ちょうど京都は地蔵盆の季節。
町内のあちらこちらで子供を集め地蔵盆が行われています。
明日・明後日(8月22日・23日)と京都六地蔵のひとつ、四ノ宮地蔵の地蔵盆が行われ沿道にたくさんの屋台が並びます。
地蔵盆が済むと京都は一気に秋の気配が漂い始めます。

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デジャヴ

デジャヴ (既視感 きしかん、仏:Deja vu:「既に見た」の意)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。(Wikipedia)

実は、私は一度だけこのデジャヴを経験しています。

初めての中国旅行で 西安(昔は長安の都と呼ばれていました)郊外の法門寺という古刹を訪れた時のことです。

黄砂がひどく視界は数百メートル。
広いお寺の境内の中ほどに仏舎利が発見されたという石造りの古い宝塔がありました。
その各層の軒につるされた鐘を風が揺らし、カランカランと悲しい音を響かせています。

それを眺めているうちに、
突然、本当に突然に、「ああ・・懐かしい」との思いと共に、涙があふれ出して止まらなくなりました。
「私はここに来たことがある・・」
もしかしたら私に流れている渡来人の血とともに、DNAにプリントされた故郷の記憶が受け継がれたのかもしれません。

最近、人との出会いについても思うことがあります。

「袖触れ合うも他生の縁」とは、今世の出来事すべてが前世からの深い因縁によって起こるという仏教的な考えですが、前世で何らかの関係があったとしか思えないほど、心から感動する出会いがあります。

飯田史彦さん(福島大学教授)は「ソウルメイト」の存在を肯定します。
私にも、男や女、年齢や地位、打算や損得に関係なく人間として魂のレベルで引かれあう人がいる。それは前世でも親子であったり夫婦であったり、親友であったり恩人であったり、何か深い関係を結んだ人ではないかと思わざるを得ないほど魂が震える人との出会い、まさに「ソウルメイト」の存在を感じます。
人生は「人儲け」の場。人との出会いを大切にしていきたいなと思います。

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船上懇親会

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昨日は(公社)滋賀県宅地建物取引業協会と、わが(公社)京都府宅地建物取引業協会の定例懇談会が開催されました。
この会は毎年1度、それぞれの執行部 総勢15人が集まり、共通する課題について協議します。
昨日も中古住宅の流通や賃貸管理などについて話し合いました。

会議終了後は懇親会が開催されるのも恒例です。
今年は滋賀宅建さんが趣向を凝らしていただき、琵琶湖を船でクルーズしながらの懇親会となりました。

大津港を出港した船は案外高速で、日暮れ前の琵琶湖の景色が窓の外を流れていきます。
デッキへ出ると湖面の風は涼しく頬をなでていきます。
東には矢橋帰帆や烏丸半島、その向こうに近江富士とよばれる三上山が、
西には雄大な比良山系や島浮御堂が見えます。

船は琵琶湖大橋の下をくぐり、その先で折り返して大津港へ戻りました。

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忙中閑あり。
お料理にも景色にも、また琵琶湖の涼風にも癒やされた一日となりました。
ありがとうございました。

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