「3010運動」

とうとうお気に入りのスマホの調子が悪くなり、機種変更をしました。復旧に手間取り、昨日からブログの投稿ができませんでした。
すみません。

さて私は10年ほど前、中国である家庭に一泊させていただいたことがあります。
真新しいマンションでまだ若い官僚のご夫婦とお子さんが1人の家庭でした。
夕食は大変なご馳走で、とくに水餃子がとても美味しかったのです。
たくさんお皿にもっていただきましたが、美味しさとともにご厚意を無にしてはならないという思いもあって何とか完食しました。

するとまたお皿いっぱいの餃子を持ってきていただく。
また食べる…
もうお腹いっぱいなのに、食卓に同席していたご主人までもが奥様と共に台所に立たれ、また水餃子を作り始めます。

さすがに限界なのでもう食べられませんと、片言の英語とジェスチャーで伝えると、やっとお二人は餃子を作るのをやめて席に戻ってこられました。

それまで私は知らなかったのです。
中国ではお客様が食べ残してくれるまでお料理を出すのがおもてなしであるということを。

あのご夫婦は、日本から来た男が出しても出しても水餃子をパクパク食べるので慌てて追加を作られていたのです。
申し訳ないことをしました。

ところで私は戦争中、食糧難の時代を生きた両親に育てられましたので、食べ物を粗末にすることを厳しく戒められました。
おかげで基本的に出された物は完食してしまいます。
食べ物を残せないので、お腹の贅肉がたっぷりついてしまうのは致し方ないことですよね(笑)

ところで現在、日本では一年間に食べ残しが600万トン余りあり、食品ロスとして廃棄されています。

さすがにこれはダメですよね。
富のある人間は食料を買いあさり、その多くを食べずに捨てる。
貧しい民は食料を手に入れられず飢えて亡くなる。
そんな不平等な関係の中の、飽食側にいて暮らしている私たちが、せめて食べないで捨てる分まで買いあさらなければ、価格は下がり貧しい民にも食料が供給されるはずです。

こんな状況を受け、無駄を無くすためにいま全国の宴会で「3010運動」が展開されています。

これは
・適量を頼む。
・食事開始の30分、終わりの10分は自分の席で食事する。
・食べられないものは早めに食べられる人に譲る。
・食べ残しはしない。
というもの。

先にお話ししたように、中国のお客様に対する思いやりはとても素敵です。
しかしこれからは世界の貧しい食べられない子供たちへの思いやりを以て「mottainai」の精神で食事をしたいものですね。

カテゴリー: 4 グルメ | コメントする

横文字

先日、母の携帯を解約してきました。
寝たきりで人工呼吸の母にはもう2度と使えない。
それでも解約するのは誰かと繋がっている糸をきるようで忍びなく、6年間は解約せずに置いておいたのですが、何年も着信がない電話なので思いきって解約した次第です。

元気な頃の母はおしゃべりで、この携帯もフルに活用していました。
携帯を手に取っているとおもしろい会話を思い出しましたので紹介します。

この日記の登場人物
A 私
B 母 ってことで・・

B 「あ~、私やけど」

携帯をもったころの母は色々かけてみたいらしく、よく電話をかけてきました。

携帯はもちろんシルバーフォン。
画面が大きい。
着信音も通話の音もでかい。
ついでにボタンもでっかいのでお年寄りには使いやすいみたい。
そのワンタッチダイアルの一番目が私の携帯なんです。

A 「何? どうしたん?」

B 「雨が降ってきたし迎えに来て。」

A 「今どこよ?」

B 「お友達のとこ。大通りの『ろいやるポスト』の近く。」

『ろいやるポスト』?
ロイヤルホスト(「宮廷のもてなし役」)ってゴージャスな名前のお店が、「宮廷の郵便箱」ってチンケな店に変わっとるやん。
おまけに、もう何年も前に閉店して他のテナントが入ってるし。

ああ・・
Bにもとうとう来るべき病気がやってきたか・・ (笑)

気を取り直して

A 「今日は大雨やて言うてるのに何しとったん。」

B 「友達とフキンシップや。」

布巾で湿布?

(ー_ー) それも言うならスキンシップやろ・・

きっと真面目に先生の教えを守ってきた幼少時代やったんだと思います。

横文字なんて敵国語だから使っちゃダメよって(笑)

カテゴリー: 5 エトセトラ | コメントする

小関越えのお地蔵さん

これやこの
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
逢坂の関

京都から近江へ抜ける街道は蝉丸の歌でも知られる逢坂の関が有名です。
これを「大関」と呼ぶのに対し、藤尾から大津京に抜ける間道を「小関」と呼びました。

小関峠の頂上付近に小さなお地蔵さんが安置されています。
私が小学生の頃、この小関超えの間道が車も通れる道として整備されました。
その際、工事中に見つかったのがこのお地蔵さんです。

お地蔵さんは昔、幼くして亡くなった子供の身代わりとして、その苦しみから救うという地蔵菩薩を祭ったもの。
このお地蔵さんにもそんな悲しい歴史があり、長年土の中に埋もれていたのかもしれませんね。
ちょうど京都は地蔵盆の季節。
町内のあちらこちらで子供を集め地蔵盆が行われています。
明日・明後日(8月22日・23日)と京都六地蔵のひとつ、四ノ宮地蔵の地蔵盆が行われ沿道にたくさんの屋台が並びます。
地蔵盆が済むと京都は一気に秋の気配が漂い始めます。

カテゴリー: 2 滋賀のこと | コメントする

デジャヴ

デジャヴ (既視感 きしかん、仏:Deja vu:「既に見た」の意)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。(Wikipedia)

実は、私は一度だけこのデジャヴを経験しています。

初めての中国旅行で 西安(昔は長安の都と呼ばれていました)郊外の法門寺という古刹を訪れた時のことです。

黄砂がひどく視界は数百メートル。
広いお寺の境内の中ほどに仏舎利が発見されたという石造りの古い宝塔がありました。
その各層の軒につるされた鐘を風が揺らし、カランカランと悲しい音を響かせています。

それを眺めているうちに、
突然、本当に突然に、「ああ・・懐かしい」との思いと共に、涙があふれ出して止まらなくなりました。
「私はここに来たことがある・・」
もしかしたら私に流れている渡来人の血とともに、DNAにプリントされた故郷の記憶が受け継がれたのかもしれません。

最近、人との出会いについても思うことがあります。

「袖触れ合うも他生の縁」とは、今世の出来事すべてが前世からの深い因縁によって起こるという仏教的な考えですが、前世で何らかの関係があったとしか思えないほど、心から感動する出会いがあります。

飯田史彦さん(福島大学教授)は「ソウルメイト」の存在を肯定します。
私にも、男や女、年齢や地位、打算や損得に関係なく人間として魂のレベルで引かれあう人がいる。それは前世でも親子であったり夫婦であったり、親友であったり恩人であったり、何か深い関係を結んだ人ではないかと思わざるを得ないほど魂が震える人との出会い、まさに「ソウルメイト」の存在を感じます。
人生は「人儲け」の場。人との出会いを大切にしていきたいなと思います。

カテゴリー: 5 エトセトラ | コメントする

船上懇親会

DSC_0242

昨日は(公社)滋賀県宅地建物取引業協会と、わが(公社)京都府宅地建物取引業協会の定例懇談会が開催されました。
この会は毎年1度、それぞれの執行部 総勢15人が集まり、共通する課題について協議します。
昨日も中古住宅の流通や賃貸管理などについて話し合いました。

会議終了後は懇親会が開催されるのも恒例です。
今年は滋賀宅建さんが趣向を凝らしていただき、琵琶湖を船でクルーズしながらの懇親会となりました。

大津港を出港した船は案外高速で、日暮れ前の琵琶湖の景色が窓の外を流れていきます。
デッキへ出ると湖面の風は涼しく頬をなでていきます。
東には矢橋帰帆や烏丸半島、その向こうに近江富士とよばれる三上山が、
西には雄大な比良山系や島浮御堂が見えます。

船は琵琶湖大橋の下をくぐり、その先で折り返して大津港へ戻りました。

DSC_0270


忙中閑あり。
お料理にも景色にも、また琵琶湖の涼風にも癒やされた一日となりました。
ありがとうございました。

カテゴリー: 2 滋賀のこと, 3 宅建業 | コメントする

夢力

渡辺淳一さんのベストセラーに「鈍感力」ってのがあります。
小泉首相が内閣支持率に一喜一憂するな、鈍感力が大切などと発言したことでも有名になりました。

一時、「○○力」という造語が流行っていましたね。
そんな中に「夢力」っていう言葉がありました。
夢を見る力とでもいう意味でしょうか。

確か重松清さんの短編小説だったかな。
「もしも」について語られたものがありました。
内容はよく覚えていませんがこんなこと仰っていたと思います。

子供の頃は「もしも」は未来のことばかり。
しかも「もしも」がいっぱいあった。
子供に「もしも」がなくなれば随分つまらなく思えた。

しかし、だんだん大人になるにつれ、その「もしも」の後が続かない…と。

子供の頃の「もしも」に続くのはたぶん「夢」だったんでしょうね。
その夢の多くをパチン、パチンと風船がはじけるように失望にかえて人は大人になっていく。
だから大人の、「もしも」に続くものは夢の抜け殻である「後悔」。

もしもあの大学に合格していれば…
もしもあの会社に就職していれば…
もしもこの人と結婚していなければ…
もしもあの人と結婚していれば…なんてね。

やはり大人も夢を持とうではありませんか。
子供から夢力がないなんて言われる大人は、たぶん輝いてはいないと私はおもいます。

皆様の夢はなんですか?

私の夢?
それはナイショです(笑)
でもちゃんと持っていますよ。いつも心に。

さて、明日も頑張りましょう。
おやすみなさい。

カテゴリー: 5 エトセトラ | コメントする

舞鶴赤レンガ倉庫群 プロジェクション・マッピング

DSC_0209


DSC_0171


DSC_0167


DSC_0215


舞鶴の赤レンガ倉庫群でプロジェクション・マッピングが開催されました。

プロジェクション・マッピングとは投影される対象、今回の場合は赤レンガの建物にぴったり合うようにコンピューターグラフィックスなどの映像が映し出される芸術です。

舞鶴の港に夜の帳が降りると、古い赤レンガの建物に前衛的な動画が写しだされます。
様々な色の光が形を結び、流れ、消えてはまた現れる…
大きな建物いっぱいの映像が圧倒的な迫力で見る者を魅了しました。

このイベントは舞鶴の街おこしのイベントです。
古い建物にカフェを作ったりコンサートをしたり、いろいろな工夫で赤レンガの魅力を発信されています。

現在、京都市は大勢の観光客であふれかえっています。
それは多くの寺社仏閣があり、さほど努力をしなくても観光客が来ていただけているという一面があることは否定できません。
しかし、この舞鶴のように、そこに住まう人が努力し新しい魅力も発信していく姿勢を見習わないといけない。
そうしないと、いつか京都は飽きられてしまうのではないか、魂のこもった美しい映像を見てそんなことを思ったりしました。

昨夜は爽やかな海風とともに、美しいものを見ることができてとても幸せな時間でした。

カテゴリー: 1 京都のこと | コメントする

夕日

170813_181914

米は八十八の手間をかけ大切に育てられると言います。

米という漢字を分解すると八十八になるからですが、機械化された今日でさえ、確かに多くの手間がかかります。

今日は朝は朝6時に起きて夜の7時まで、草刈りや草取り、刈った草の焼却等の作業をしてきました。

曇っていたのでまだ楽でしたが、やはり疲れました。

4月に植えた苗はすでに穂が膨らみ、もうすぐ黄金色になり頭を垂れます。

稲にも、ふらふらの私の体にも、夕日が降り注いでいました。

体の疲れとは反比例した満足感で夕日を眺めつつ、帰路についた私です。

カテゴリー: 5 エトセトラ | コメントする

「スタバなう」 とつぶやく心理

以前、日経 BIZ GATEに トライバルメディアハウス 池田紀行氏が投稿された 
「なぜ人は「スタバなう」とつぶやくのか」はとても興味深く読むことができました。 

人は自分の位置をフェイスブックやツイッターでつぶやきます。 
なぜつぶやくのか? 

その理由の一つが 
誰かとつながっていることを確認したい、社会的欲求であるということ。 
核家族化が進み、近所付き合いしたくないとしてマンションが流行る時代、 
他人との接触が希薄になる半面で、特定の人とはいつもつながっていたい。 
位置情報をつぶやき、いいね!やコメントをもらうことで 
自分が誰かとつながっている確認をしたいのだと彼は言うのです。 

また二つ目の理由が 
共感を得て羨ましがられたい、自己承認欲求であるということ。 
単につながっているだけでなく共感や羨望してもらうとこで自己承認してもらいたいというもの。 
その例として「スタバなう」と「ドトールなう」のつぶやきを比較し、店舗数では後者が多いのに 
つぶやきは前者が数倍多いということを挙げています。 
つまり、大衆的なドトールでなく、ちょとおしゃれなスタバに身を置く自分のライフスタイルを伝え承認してもらいたいと思うということだそうです。 

このような動機で、人は特定の他人に自分の位置を知らせている。 
だから写真撮影は「撮った写真を共有する」から「共有するために撮る」時代へ転換しているのだと。

なるほど。 

そう言うと私も今朝、LINEでスタバなうとつぶやいてました。
池田さんの鋭い分析が、自分を見透かしているようで恥ずかしい限りです。

今日もお疲れさまでした。
おやすみなさい。

カテゴリー: 5 エトセトラ | コメントする

あの…

あの…

わざとですか?

 

それとも
寝とぼけてたの?

 

 

それにしてもちょっと
ひどかないですか?

 

 

 

そりゃあ私の足は太いです。

 

 

だからと言って…

やめてください。

 

 

 

 

飼い主の足に
オシッコかけるの (-_-メ)

カテゴリー: 5 エトセトラ | コメントする