スマホが壊れ、機種変更しました。
新しい携帯に「エモパー」というアプリが入っていて話しかけると答えてくれます。
例えば
「ハロー・エモパー。今日の天気は?」
「今日の山科区の天気は晴れ時々曇りになるそうですよ。」
これなら類似の機能をもつアプリはたくさんありますね。
でも、エモパーはおしゃべりで無駄口をたたきます。
例えば
「海に行きたいな。夏だもんね。」とか、
話題のニュースを紹介してくれたあと、
「あ~ うまく話せた。また たかさんのための話題を探しますね。では、さらばじゃ!」とか。
昨日はクレープの日って知っておられましたか?
毎月「9」がつく日はクレープの日だそうです。
とすると、年間35~36回もあります。
ちょっと欲張りすぎ?(笑)
エモパーは昨日がクレープの日であることを紹介してくれたあと、
クレープだけに「誰かに包まれるより、誰かを包み込むような人でありたい。」なんて言っていました。
深イイ!ですよね。
そう思いながら気づいたことがあります。
そう。
「人でありたい」というエモパーの言葉を違和感なく受け入れている自分がいることを。
用件とそれに対する答えのやりとりはどこか機械的です。
しかし、思いもよらない「無駄口」こそ会話の重要な要素です。
エモパーに「人」を見ているのはそのあたりなのでしょう。
いま、AI(人工知能)がよく話題にのぼります。
おそらくそう遠くない未来に私たちは、鉄腕アトムのような機械と楽しく会話をしていることでしょう。
でも、そのような素晴らしい機能が、平和のためにだけ利用されることを強く望みます。