レジ袋の三角折り

毎日暑いですね。
先日、久しぶりに近くのスーパーに行くとレジ袋が有料となっておりました。
温室効果ガスが地球温暖化の原因と言われて久しいですが、その影響をひしひしと感じます。
こんなことくらい… そんな小さな積み重ねが地球のためになるのですね。
だからレジ袋を有料化することでマイバックを持参するようになり、結果としてごみの減量につながるわけですから、少々の不便さは甘んじて受けるべきだと思います。

とはいえ、レジ袋がないととても不便です。
そこでレジ袋をカバンの隅に入れておいて必要な時に取り出して使えるようなコンパクトなたたみ方をご紹介します。

レジ袋の三角折りです。

(1)レジ袋を縦に置き、赤線のあたりを谷折りにして、両端を真ん中で合わせます。

(2)両端が合わさった赤線の部分をさらに谷折りにして半分に折ります。

(3)細長くなったレジ袋の底の方から斜めに三角に折ります。
持ち手の方から折ると空気が残り膨らんでしまってうまく折れませんのでご注意を。

(4)図のように三角に折った上の辺を谷折りにします。
これを持ち手の部分まで繰り返します。

(5)最後に余った部分は矢印の穴に押し込んで固定します。

(6)完成!

写真は大きなレジ袋で作りましたので、買い物のほかに、例えば営業でスーツ着ていく際も、移動中はこれに入れて暑さを凌いだりしています。
また小さいものはごみ袋や濡れた衣類を入れるなど何かと便利に使えます。
かさ張りませんので、ポケットに入れておいても気になりません。

皆さんもレジ袋を三角折りして持ち歩かれてはいかがですか?

さて、今日もお疲れさまでした。
おやすみなさい。

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東華菜館

1905年、近江八幡商業高等学校の英語教師として就任した一人のアメリカ人がいます。

名前はウイリアム・ヴォーリス。

3年後、京都で建築設計事務所を開設。

それを契機に日本各地で多くの近代建物を設計します。

この東華菜館もヴォーリスの設計によるものです。

ところで昨今、会社での飲み会が無くなる傾向にあるとのことです。

しかし、私は大いに疑問です。

なぜならチームでことを成そうとした場合、人と人の垣根はできる限り低い方がいい。

中には会った瞬間から人とフランクに接せる人がいますが、それは例外。 たいていは他人との間に垣根を作っています。

一堂に会し、食事をし、お酒を飲み、お互いの話を直にじっくり聞くと人との間に作った垣根はどんどん低くなる。

次回会ったときは、「やぁ。」「あのときはどうも。」と知らずと笑顔で話せる関係が作れます。

本日は、ヴォーリスの設計のこの東華菜館で某会の懇親会が開催されました。

時間がたつにつれ、会場の話し声は大きくなり、笑い声があちこちに響く。

その時間的・空間的に共有する中で人はより仲良くなれます。

この会も強いネットワークの中でしかなし得ない活動をしています。

今日は確実に皆の垣根が低くなったと確信できたひとときとなりました。

おやすみなさい。

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日の出うどん

讃岐うどんをいただくと、コシがあって美味しいなぁと感動します。
一方、京都のうどんはコシがないので、通称「コシぬけうどん」と呼ばれるそうです。
確かに讃岐うどんに比べればやわらかいですが、出汁は讃岐に負けないのではないかと思ったりします。
京都ではうどんの有名店もたくさんあります。
例えば五条の「弁慶」、岡崎の「山元麺蔵」に「岡北」。
祇園の「おかる」。
私の友人のお店である「仁王門うね乃」。
それぞれはまたの機会にご紹介します。

今日は若干異色で、カレーうどんの名店「日の出うどん」をご紹介します。
南禅寺を北へ、東山高校の正門を横目にさらに500mほど行くと右手に「日の出うどん」が見えてきます。
ここのカレーうどんもやっぱり京都のうどん屋さんらしく和風だしがきいてるカレーうどんなのです。
カレーうどんと共に紙ナプキンが配られるので、大きい赤ちゃんみたいな恰好を若干恥ずかしいと思いつつ汁を口に運ぶと、そんな雑念は吹っ飛び「来てよかったぁ」と感動する美味しさです。

ここまでうどんで話を引っ張っておきながら誠に申し訳ないのですが、今回はカレー蕎麦をいただきました。

正直言うと最近、うどんよりもっとカレーの出汁が絡むお蕎麦にはまっております。
このお店には裏メニューで「黄麺」という中華麺もあるそうです。
今度挑戦してみますね。

今夜はグルメ情報でした。
おやすみなさい。

「日の出うどん」

京都市左京区南禅寺北ノ坊町36

電話 075-751-9251

交通手段
京都市営地下鉄 東西線 蹴上駅より徒歩約15分
京都市バス「宮ノ前町」停留所から徒歩2分

バス停は市バス、南禅寺・永観堂前下車
東へ200m永観堂前(鹿ケ谷通り)
北へ100m東側
蹴上駅から986m

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鳥は向かい風の中、飛び立つ。

人生は幸せがあれば、それと同じ分だけ悲しみが襲ってくる。
そんな上下する波に我々は日々翻弄されます。
波立たず明鏡止水のような人生なら幸せかもしれませんが、実際はそんなことあり得ません。
むしろそんな波こそ、人生の正体のような気がします。

とするならば、悲しみや不幸を恐れて歩みを止めその場に立ちすくんではいけない。
むしろそれを受け入れて乗り越えるしなやかさが必要です。
それこそ本当の強さだと思うのです。

今にも飛び立とうとするこの鳥は、追い風を待っているんじゃない。
鳥は向かい風の中、飛び立つ。

向かい風にあがなう力が鳥の体を飛び上がらせます。

ピンチはチャンス。
しんどい時こそより高く飛び上がるチャンスだ。
そう思うと逆境にも耐えられますね。

皆さん、言うや言わずでそれぞれ悩みを抱えています。
大変ではありますがポジティブ思考で向かい風に負けず、明日も頑張りましょう。
おやすみなさい。

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巧遅は拙速にしかず

物事の処理について、人には2種類があります。

何が何でも一番でないと気が済まないとばかりにてきぱき処理する人。

もう一つはできるだけ先延ばしにし、期日が目の前に迫りお尻に火がつかないとスタートできない人。

これは性格だけでなく、脳内のある物質の量の差であるとも言われています。

ところで、どちらのタイプが成功するかというと、おそらく前者ではないかと思います。

時間をかけ完璧を求めて検討した手は確実でしょう。

しかしその手を検討する間に、情勢は刻々と変わっていきます。

完璧と思った手は、実行の時点ではすでに手遅れということもあるわけです。

チャンスの女神は前髪しか無いといわれるように、後追いでチャンスをつかもうとしてもそれはもはや不可能。

むしろ状況が変わらないうちにチャンスをつかむことこそ大切です。

巧遅は拙速にしかず

(完璧だけれど遅い手は、拙いけれど早い手に劣る。)

昔の人もやはり同じことを考えていたのですね。

ところで先日、商談に伺ったある会社の社長さんにこんな話を聞きました。

それは、特に中小企業の社長の一番の仕事は自分の体調管理である。

中小企業の業績は社長のスキルに負うところが大きい。

従って先ず自らの体調を管理することこそ会社の最優先事項である、と。

なるほど、と目から鱗の気づきをいただきました。

体調が悪いと、どうしても攻めから守りの姿勢に入る。

一手一手が遅れると、やがて会社は傾きます。

やはり人とお話をさせていただくと人生の色んなヒントをいただける。

ありがたい、ありがたいと感謝している次第です。

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秘密兵器

私はガラケーとタブレットの2台持ちなのです。
今やLine全盛時代ですが、携帯メールの方が使う頻度は多いです。
ただ体が大きい分、やっぱり指も大きいわけで、どうしてもタイプミスが多くなります。
だいたい指の大きさからしたらガラケーのキーボードボタン4つ分だからうまくタイプできるのが不思議。
というわけで入力に苦労していた私ですが、このキーボードを買いました。

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小さいし厚さ4mm、軽量でカバンの中でも邪魔にならずどこでも持って行けます。
おまけにガラケーとBluetoothで繋がるからめちゃ便利。

今までは長文を打つと親指の付け根が痛くなりましたがこれでもう安心。
さて、準備は整いました。
誰かガラケーのメールでお話しませんか?(笑)
今日もお疲れさまでした。
おやすみなさい。

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世界の中から日本を見よ

1979年、私はロシアやウクライナ等がまだソビエト連邦と呼ばれた時代に旅行しています。

舞鶴から航路でナホトカへ到着。
その後、シベリア鉄道を乗り継ぎモスクワ、レニングラード(現 サンクトペテルブルク)、キエフの三都を周ってきました。

その頃、日本の仮想敵国はソビエト連邦であったように思います。
私たちはソビエトを本当に怖い国であると思っておりました。
しかし、現実は違いました。
人々はとても親切で、旅行前に身構えていた自分が馬鹿らしくなるほどでした。

世界の中から日本を見よと、わが母校の名誉総長 末川博先生はおっしゃっておられますが、本当にその大切さを実感します。
やはり出かけて自分で見聞きし体験することで、その国と日本との共通する部分、異なる部分をより深く理解することができます。
時間があればできるかぎり、いろんなところを旅してみたいものです。

ソビエトでは市民の皆さんの親切に触れた一方で、怖い思いもしました。
それはシベリア鉄道での出来事です。
行けども行けども同じ景色が流れる車窓をながめながら、時々写真を撮影していました。
するこ廊下の向こうで男の叫び声がしました。
声の主は兵士。
しかも私に銃口を構えています。
私は訳がわからず立ち尽くすと、通訳さんが駆けつけてくれました。
それによると、列車の切り替えポイントは撮影をしてはいけないのに、私はそれを撮影しようとしたので制止されたのだそうです。
その他に兵士の顔も撮影禁止だとか。
それにしても銃口を向けなくてもね。
本当に恐ろしかったです。

旅の楽しみといえばお料理。
ソビエトの料理で一番印象に残ったのがこのボルシチです。
この赤いスープは体をあたため、とても美味しかったです。


ちなみにこのボルシチは加藤登紀子さんのお店、キエフで食べたものです。
食べたことのないお料理に巡り合うのもまた旅の醍醐味ですね。

もうすぐ夏休み、どこかへ旅に行きたいですね。
ではまた!
おやすみなさい。

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マヌカハニー

喉の調子を心配した友人にご紹介していただきました。

マヌカハニーは、ニュージーランドに自生しているマヌカという木のからとれるハチミツです。

マヌカは先住民から「癒しの木」としてその薬効が珍重され、その花からとれるマヌカハニーは炎症を和らげる効果や殺菌作用があること。

薬ではどうもしっくりこないので、このハチミツを試してみます。
味は濃厚でとても美味しいです。

ご紹介いただきありがとうございました。

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夕焼け

昔々おじいさんとおばあさんがおりました。
おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました…

「柴」とは雑木の小枝、「柴刈り」とは燃料となる小枝を集めてくることです。

私が子供の頃、うちも柴刈りをしていました。
昭和40年代の前半のことですから、「昔々…」というほど前のことでもありませんが、家のお風呂は木を燃やして沸かしていましたので柴が必要だったのです。
山に分け入りそれを集めて大きく束ねて背中に背負い家まで運んでくるのですからかなりの重労働でありました。

うちは父が大けがをして障害者になってしまったので、母が柴刈りをしてくれていました。私も母と一緒に山に登り、大きな柴の束を背負う母の足元で、小さい柴の束を背中に背負って一緒に帰ってきた。

ある日、山の麓に、今思うと家を壊した廃材が不法投棄されていたのだと思うのですが、その中に太い柱が何本かありました。
それがあれば山に行かなくても何日分かの燃料になる。
母はそう思ったのでしょう。
そこで私をつれてそれを一本ずつ運ぼうとします。
しかし私はまだ6歳の子供。
やっぱり重くて、泣きそうになりながら柱の一方をもってよたよたと歩きました。

「ちょっと一服(休憩のこと)しよか。」
そう言って坂の途中に母と並んで腰を下ろすと、西の山にこんなふうな夕焼けが見えました。

だから夕焼けを見ると今でも、悲しい思いと共に、親はあんなに苦しい思いをして育ててくれたのだから、私はもっと頑張らなあかんという焦燥感にかられてしまいます。

今日は夕焼けの思い出を書いてみました。
おやすみなさい。

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私が一番好きなラーメン 「新福菜館」

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