昔々おじいさんとおばあさんがおりました。
おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました…
「柴」とは雑木の小枝、「柴刈り」とは燃料となる小枝を集めてくることです。
私が子供の頃、うちも柴刈りをしていました。
昭和40年代の前半のことですから、「昔々…」というほど前のことでもありませんが、家のお風呂は木を燃やして沸かしていましたので柴が必要だったのです。
山に分け入りそれを集めて大きく束ねて背中に背負い家まで運んでくるのですからかなりの重労働でありました。
うちは父が大けがをして障害者になってしまったので、母が柴刈りをしてくれていました。私も母と一緒に山に登り、大きな柴の束を背負う母の足元で、小さい柴の束を背中に背負って一緒に帰ってきた。
ある日、山の麓に、今思うと家を壊した廃材が不法投棄されていたのだと思うのですが、その中に太い柱が何本かありました。
それがあれば山に行かなくても何日分かの燃料になる。
母はそう思ったのでしょう。
そこで私をつれてそれを一本ずつ運ぼうとします。
しかし私はまだ6歳の子供。
やっぱり重くて、泣きそうになりながら柱の一方をもってよたよたと歩きました。
「ちょっと一服(休憩のこと)しよか。」
そう言って坂の途中に母と並んで腰を下ろすと、西の山にこんなふうな夕焼けが見えました。
だから夕焼けを見ると今でも、悲しい思いと共に、親はあんなに苦しい思いをして育ててくれたのだから、私はもっと頑張らなあかんという焦燥感にかられてしまいます。
今日は夕焼けの思い出を書いてみました。
おやすみなさい。