東京

昨日は昔からの知人である不動産会社の社長さんとともに東京へ出張してきました。

用向きは最近の不動産市場をめぐる新しい動きを勉強するために、ポータルサイト大手のアットホームさんと最近、賃貸保証業務に乗り出したリクルートさんを訪問してお話を聞くためです。

いずれも大変参考になる話をいただきました。

今後、人口の減少、空き家の増加、異業種からの参入も含め、大手企業による不動産市場の寡占化など中小零細には厳しい経営環境が予想されます。

しかしお話を聞かせていただいた内容はいずれも、今後の我々の生き残る大きなヒントをを教えていただきました。

大変お忙しい中でご対応いただいた両社の皆様に感謝申し上げます。

 

写真は夜の東京駅です。

昨日に限ってライトアップされておらず残念でしたが、東京の玄関口にふさわしい威厳を漂わせていました。

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白鳥(しらとり)

青空は気持ちいいですね。

青空を見るとこの歌を思い出します。

白鳥はかなしからずや空の青
海のあをにも染まずただよふ

若山牧水の句です。

白鳥はさみしくないのだろうか。
青い空の色にも藍い海の色にも染まらずだたよっていて。
(いっそどちらかに染まれば楽であろうに。)

 

人付き合いの極意は自分から自分をさらけ出すことだそうです。

ところが世の中には周囲と距離を置く孤高の人を時々見かけます。

そんな人はきっと人付き合いが苦手なんですね。
本当はみんなと打ち解けたいのに…
そう思っているかもしれません。
実際、話してみると案外楽しい方が多いもの事実です。

皆様も「孤高の白鳥」をみかけたら、進んで声をかけてみませんか?

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「伏見」

三条京阪に大好きが居酒屋がありました。
その名前も「伏見」。
三条にあるのになぜ伏見なのか?
それを聞こうと思いつつ聞きそびれてしましました。

コの字型のカウンターだけのお店ですが、開店直後から満席になる人気店。
安くてボリュームがあって、特におじさんたちにはすごくありがたい店なのであります。

そこに名物の女将さんがいらっしゃって、大きなだみ声で「今日は鯖が美味しいで。鯖食べるか?」と半分押し売りのように注文をとられます。
でも、その通りに注文すると本当に美味しく満足するのです。
また「これサービスしとくわ。」と注文もしていないお料理をいただいたりもします。
そんなざっくばらんな人柄が人気で、女将さんを目当てに来るお客さんもたくさんいました。
みんなの笑顔の中心に女将さんがいる、そんな素敵な居酒屋です。

その店の壁にこんな張り紙があります。

「声高の方は御遠慮願います。
   一時間以内に
   御願いします。
                      伏見店主」

ちょっと笑けてきますよね。
だって、この店で一番声高なのは店主である女将さんなんですから。
そんなことをツッコミながら閉店まで飲み明かしたものです。

でも、近隣の開発でこの店も先日閉店してしまいました。
綺麗なビルが建つのでしょうが、こんな人情酒場が閉店し、おじさんの大切な居場所がひとつ無くなってしまったことをとても寂しく思っています。
またどこかで、あの声高な女将さんが「伏見」を再開してくれないかと期待する私なのであります。

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人情劇

子供のころ、土曜日はまだ半日だけ学校がありました。

学校から帰ってテレビをつけるとよく松竹新喜劇を放映してました。
もちろん主役は「藤山寛美」。昭和の喜劇王です。

吉本新喜劇がお笑いを前面に出していたのに比べ、松竹新喜劇は笑いと人情をテーマとした演劇でした。

笑わせてお金をいただくのはもちろん大変ですが、松竹新喜劇のように人を笑わせ、そして泣かせてお金をいただく高度な芸能は、やはり天才 藤山寛美さんに頼っていた部分が多かったようです。
従って、彼が逝ったあと残念ながらTV放映はなくなってしまいました。

私たちは子供心に見た松竹新喜劇から、人情の機微、義理や恩、人の心の温かさ優しさを学んだように思います。
できることならあんな人情劇をまた放送していただきたいものです。
商業ベースの視聴率ですべてを判断する今のTV放送では無理でしょうか・・

余談ですが私の会社のすぐ近くに藤山寛美さんのご自宅があり、時々、寛美さんのあとを継いで役者として活躍されている藤山直美さんをお見かけします。

その直美さんもこの春にガンが見つかりただいま静養中。

人は苦しんだ経験が多いほど、人の苦しみに気づくことができ、優しくなることができます。
苦難を乗り越えた直美さんの演技により円熟味が加わり、見る人の心を打つ人情劇演じられることでしょう。
彼女の一日も早い復帰を願っています。

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ハチミツ

最近、喉の調子が良くなくて困っております。

耳鼻科でお薬をいただくのですが、逆に喉がカラカラになって別の不快感があります。

困ったなぁと思っていますと、お知り合いからハチミツをすすめていただきました。
ハチミツには殺菌作用もあり、また喉を優しく覆うので使ってみなさいと。
早速試してみると、確かに楽です。
最近は夜もよく眠れるようになりました。

 

自然の蜜を集めたハチの努力を横取りするようで申し訳ないのですが、そのぶん感謝して今日もハチミツをいただいております。

ありがたい、ありがたい。

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蓮(ハス)

今日は行政書士の業務で京都土木事務所へ行った帰り、府立植物園へ立ち寄ってきました。

四季折々の花が楽しめ、私の癒しの場所です。
ちょうど蓮の花が見ごろとのことでちょっと撮影してきました。


この大きくて気高い花を見ると、仏様が座っていらっしゃるというのもわかる気がします。

 

御詠歌にはこんなふうに蓮の花がよまれています。

先立たば 遅るる人を待ちやせむ
華の台(うてな)の半ば残して

あの世に行ったら、後から来るあたなを待とう。
蓮の花の台の半分を、あなたのために残しつつ。

仲良きことは美しきかな… ですね。

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たん・たん・たん

先日、おばんざい屋さんに行ってきました。
京都ではお惣菜のことをおばんざいといいます。

もっとも私の住む山科ではあまり使いません。
(山科が「京都」か?という議論がありますが、それままた別の機会で。)

さて、そのおばんざいやさんのメニューにこんなのがありました。

「菜っ葉のたいたん」

他所のかたにはわからないかもしれませんね。
「たいたん」の「たいた」は「炊いた」。
普通、お米は「炊く」で魚は「煮る」でしょうが、京都ではお米も魚も「炊く」と言います。
では最後の「ん」は?
「の」とか「物」と置き換えればわかりやすいですね。

「菜っ葉のたいたん」は「菜っ葉の炊いたの」「菜っ葉の炊いた物」ということになります。

これをマスターするとあとの応用は簡単!

「魚の焼いたん」
「ゴーヤの炒めたん」
「かしわのあげたん」
「生姜のすったん」
「おなすの漬けたん」…

ほらね。
いっぱい使えます。

京都の料理は、たん・たん・たん なのであります。

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サーバーエラーのお詫び

今朝からサーバーにエラーが発生し、このブログを見ることができませんでした。

ご訪問いただいた皆様、大変申し訳ありませんでした。

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なすびの花

夏野菜の季節ですね。
トマト、きゅうり…
私はとりわけなすびが好きです。

一番がなすびの「どぼ漬け」。
あっ、「どぼ漬け」と言われてもわかりませんね。
京都ではぬか漬けのことを「どぼ漬け」と言います。

「どぼ漬け」
言葉的にはあんまり美味しそうではありませんが、実物はとても美味しいのであります。

短冊に切って、醤油をポトポトと垂らしてから熱々のご飯にのせて食べます。

漬物なのに醤油?
そうそう。
塩分は気になりますがマストアイテムなんです。

他にも胡麻油やおろし生姜、七味なんかをかけて味のバリエーションを楽しんだりします。

 

ところで皆さんはなすびの花をご覧になったことがありますか?

栴檀は双葉より芳しではありませんが、やっぱり花も紫色なのです。

なすびの花を使ったこんな名言があります。

 

親の意見と茄子なすびの花は
千に一つも仇(あだ)はない

 

仇花とは実をつけない花のことですが、なすびは必ず実になることから、親の意見も必ず実になる、心して聞けよ。
そんな意味であろうと思います。

 

私もふとした時、両親が言ってくれた言葉を思い出し、己の身を正すことがあります。
親とは本当にありがたいものだと、この歳になってつくづく思う今日この頃です。

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ヤドカリ・シティ

京町屋という建物をご存知でしょうか?

京都市によると、昭和25年以前に建てられた、虫籠窓や木格子戸など伝統的な意匠の家を指すそうです。
京都市内に判明しているだけで4万件あります。

京都市は古都の景観を守るため、そんな建物すべてを保存すべきとして条例を制定します。
その条例によれば、「京町屋」を解体する際は事前に届け出をすること、特に京都市が指定する京町屋、もしくは指定するエリアにある京町屋は、解体の1年前に届け出をしなければ科料に処すとしています。
届け出をうけた京都市は1年かけて京町屋を壊さないよう所有者を説得するというわけです。
ある意味、所有者の財産権を制限してまで景観いう公の利益を優先することが正義だというのです。

確かに京都はいま活況です。
国の内外からお客様が来てくださり、昨年は1兆800億円ほどの経済的効果があったそうです。
だから、京町屋を保存して景観を守るんだという考えもわかります。

 

でも一方で本来その京町屋は人が住まう場所であります。
各地で地震が起きる中で建物の耐震化が叫ばれる昨今、景観を守るために、築70年以上の「古家」を、安全な建物に建て替えて住みたい、あるいは活用したいという市民の行動を制限してまで、言い換えれば市民の命の危険を犠牲にしてまで、景観を守るのが正義なのでしょうか?

 

私にはわかりません。

 

ただ確実に言えることがあります。
それは今後日本の人口が減少するということ。
京都市内では今、13%の空き家があるといわれています。

京都市の説得に応じ、残すこととした京町屋。
それらは本当に人が住んでくれるのでしょうか?

現在、多くの京町屋は飲食店や工房、民泊などに転用されています。
家には人が住まうという本来の用法でない形で、京町屋はかろうじて守られているというのが京都の実態です。
そして今後も京都の景観のため、京町屋を保存するために、そんな利用が増えていくのでしょう。
まるでヤドカリ・シティ…

それが京都にとって本当に良いことなのかどうなのか、私にはもっとわかりません。

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