見ないから見えるもの

ここ3日は過去に撮影した写真を眺めて記事を書いています。

今日の写真は高台寺。
格子窓から見たお庭です。

いいですよね、ライトアップ。
昼間以上に綺麗に見える気がします。

何故だろうと考えているうちに答えが見つかりました。
それがタイトルの「見ないから見えるもの」です。

ライトアップされた景色は、実は見せたいものを見せるとともに、背景を隠すんですね。
それがきっといいのだと思います。

余計なものを見せない
だから見せたいものが際立つ

そういうとネット社会になってあらゆるものが見えすぎちゃいませんか?
雑音が多すぎて本当に見たいものが見えてないような気がします。

懐古主義者ではありませんが、あえて余分なものを見ないという心掛けがないと、モノの本質が見えない。
そんな屁理屈をこねこねこねている今夜の私です。

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「眺め」を守る

京都市は新景観条例により、京都らしい眺めを守っています。
もちろん建築基準法により建物の高さの制限はあります。
例えば容積率や各種斜線により高さは制限され、一定の眺めは保護されます。
しかし、あくまで制限されるのは地面からの高さです。

例えば鴨川の河川敷から大文字を眺めたとしましょう。
その途中に2棟の建物が建てられるとします。
ひとつは高さ10mのA建物。
他方は8mのB建物。
さて、どちらの建物が大文字の眺めを遮りますか?

当然10mのA建物じゃないか!
みなさんはそう思われますよね。

でもちょっと待ってください。
そうとは言い切れません。
AもBも地面の高さが同じという前提があっての話です。

もしB建物が小高い丘にあり、その地面の高さがA建物の地面より5m高かったら、B建物は13mとなり、より眺望を遮ってしまいます。
単純に建物の高さを制限しただけでは「眺め」は守れない訳です。
従って京都市は先ほどのように、鴨川の岸から大文字をみた場合、途中にその眺めを遮る高さの建物を建ててはいけない、とした。
それが新景観条例の目玉のひとつなのです。
何となくご理解いただけますか?

でもこの条例にも色々問題点もあります。
これはまた日を改めてぼちぼちお話しします。

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霊山観音

霊山観音(りょうぜんかんのん)は東山にある大きな観音様です。

あまり有名でないのは、1955年に実業家が建立したコンクリートの仏像であるからでしょうか?

先日、夜に高台寺から撮影した霊山観音さま。
私はこの観音さまのお顔の美しさにいつも見とれてしまいます。
これを建立したのは帝産グループの創始者 石川博資さん。
第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するために建立されたそうです。
私は、その崇高な志が観音さまのお顔に現れているように思います。

この観音さまの東側には坂本竜馬のお墓があります。
いずれまたご紹介しますね。

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茄子

みなさまの好きな野菜って何でしょうか?

私は断然、茄子ですね。

油で揚げてよし
煮ても焼いても美味いし
漬け物も。

こんなに美味い野菜はないと思います。
昔から庶民に人気のある茄子ですが、何で茄子と呼ぶのでしょう?

一説には植えたら早く実を成す実であるからとか。
確かに紫の花が咲くとすぐ実がなり、大きくなってくれます。
しかも花は必ず実になりあだ花がないのも、早くできる印象があるのかもしれません。

あだ花がないと言えば

親の意見と茄子の花は千に一つの仇はない

といわれるほどです。
よく父に叱られると、最後にこの言葉を言われ、ちゃんと噛みしめろと諭されました。
今更ながら、なるほどと思います。

さて、私の住む町 山科は、実は茄子の名産地なのです。
今日野菜の「山科なすび」としても有名です。

最近できた山科のゆるきゃらも「もてなす君」という茄子がモチーフになっています。
駅前商店街にこのキャラクターがぶら下がっています。
探してみてくださいね。

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楕円

秘密は楕円なんですよね。

惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く。
地球と月の関係もまたしかり。

もし月の軌道が円ならば、月と地球の距離は一定なのだからいつも同じ大きさに見えるはず。
しかし実際は楕円を描いている。
とすると、月と地球の距離により地球から見た月の大きさが違って見える。

そして、月と地球が最も近づいたタイミングで満月になると、特別の大きく明るい月となる。
通常の月と比べ、大きさが14%、明るさが30%増の月、それをスーパームーンと呼びます。

そしてそれが今日なんですね。
次のスーパームーンは約20年後とか。

さぁ、今ならまだ間に合いますよ。
表に飛び出し空を見上げましょう!

見落とした方用に写真をアップしておきます。
昨日の月と違いは?…
細かいことは気にしないで!(笑)

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月みる月は多けれど…

月月に月みる月は多けれど
月みる月はこの月の月

詠み人しらずのこの歌
ユーモアたっぷりの方が詠まれたのでしょうね。
面白いですが、言いたいことはとってもよくわかります。

銀閣寺
実は月を見るために建てられた建物であるとか。
借景の東山を上る月
庭の木々枝を渡る月
そして池の水面を漂う月
全てを計算しつくし
最高の月を眺めるために造られたそうです。

それだけ昔から月は日本人にとって特別な存在だったのですね。

さて、冒頭の月の句。
「この月」とはいったいいつの月を指しているのかは書いてありません。

でもよく見るとこの句にその答えが書いてあるんですよ。
お気づきになりましたか?

それは8月の月なんです。
旧暦の8月の月、すなわち仲秋の名月を指しています。

なぜか?
よく見てごらんなさい。
この句には「月」という文字が8個ある。
つまり1年で8番目の月。
すなわち8月なんですね。

そしてそれが今年は今日なんです!

ぜひ空を見上げて、特別な月をご覧になってくださいませ。

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環境問題

昨日に引き続き環境問題について書きます。

今から20年前、私は京都府の青年海外交流事業の代表の一人に選ばれドイツに派遣されたことがあります。
20年前と言えばベルリンの壁が崩壊後、アメリカ、イギリス、フランスの西側連合国の軍隊がドイツから撤退。
名実ともに冷戦構造の終焉を迎えた年であります。
ちょうどベルリンの前で行われた撤退式を見学することができました。

原発ゼロ国として環境問題に非常に関心の高いドイツですが、そのころすでにドイツでは国民の環境保護への意識が非常に高かったです。

たとえば自動販売機にある飲み物は基本的に瓶です。
また、スーパーではペットボトル入りの飲み物は販売されていたものの、その容器は日本のものより数倍強度があり、よく見るとペットボトルの横にひっかき傷のようなものがあります。
これはペットボトルを瓶のように10回はリユースするために頑丈な構造にするとともに、傷はリサイクルされた数を表す年輪みたいなものだそうです。
そのころすでに使い捨て文化を謳歌していた私にはとても新鮮でありました。

また、建物に入ってもどこも薄暗い。
たとえば大学の教室でさえ授業中も電気をつけないのです。
日本では教室を使う=電気をつける というイメージですが、窓の光が入っているので電気はつけないと言うわけです。

さらにホームステイしたお家でも、庭にコンポストを設置するのは当たり前。
奥様になぜコンポストを設置するのかと尋ねると、「For the Earth.」と答えられました。
大人な国だなぁと感心したことを思い出します。

環境保全はちょっとした我慢の積み重ね。
広島のような悲劇が今後も続かないように、みんなで努力を重ねていきませんか?

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豪雨

昨年の台風18号の時、私が50年以上住んでいるこの山科で、初めて川の氾濫に遭遇しました。
私が担当する消防団の区域でも、家の中に土砂が流入したり、道が浸水して自動車が水没したりと、びっくりすることの連続でした。
その際、数十年に一度の豪雨とのことでした。

しかし、今日も時折 京都ではバケツをひっくり返したような豪雨が降りました。
度々こんな雨が降るのなら、次第に 数十年に一度→数年→数か月→普通の雨になりそうな予感さえします。

かつて、地球の温暖化という言葉を耳にしたとき、暖かい冬にそれを実感したものです。
しかしこのような異常気象を体験するにつけ、今あらためてCO2の削減に真剣に取り組まないといけないと感じます。

私が青年会議所の現役時代である1997年12月、第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)が京都で開催され、「京都議定書」が結ばれました。
今一度、削減目標を達成するために、改めて我々が真剣に取り組む必要を感じます。

だって、CO2削減なんて、どこかで誰かがやってくれることじゃなく、我々一人一人の取り組みの総和が反映されるのですから。
豪雨を窓の外に見ながら、そんなことを思いつつ、無駄な照明をひとつ消した私でした。

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ブドウの皮むき

最近はまっています。

ブドウ。
もう少し正確に言うとブドウの皮むきに。

先日たまたま見たテレビでブドウの皮むきの裏技を紹介していました。

それによると、ブドウが枝にくっついているのと反対側にナイフでバッテンに切り口を入れる。

その切り口から皮をむくと、あら不思議!
つるりと皮が剥けちゃう。

お試しあれ。

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倶生神(ぐしょうじん)

倶生神ってご存知ですか?

人が生まれるときに倶に生じて、常にその人の両肩に乗っていて、その人の善いことも悪いことも、全ての行動をしるして閻魔王大王に報告するという左右の肩に乗る二神のことです。
片方が閻魔さまに報告に行くと、片方は人の肩に残って記録をする。
片方が帰ってくると交代に、閻魔さまに報告にいく。
だから倶生神のおかげで閻魔さまはその人の人生の通知簿、いわゆる閻魔帳を持っているわけです。

ところで話は変わりますが、最近、ほとんどの方がスマホですよね。

そんな時代にガラケーです、私。
何か?…(笑)

確かにスマホは便利です。
私も実は2台持ちなのでスマホも持っています。
でもどうも好きになれない。

それは個人情報が流れ出ている気がするんですよね。
だって、何もしてないのに、裏でこそこそアプリが動いてるもん。
多分、私が誰であるという情報にくっつけて、どんなキーワードで検索し、何に関心があり、どこに移動し、誰とつながっているか..
そんな情報を誰かに送ってるんだと思うのです。

これじゃまるで現世の倶生神を持っているようなもの。
その報告先が現代の閻魔さまであるグーグルだアップルだというところに集約され、より効果的な広告にあるいはほかのことに使われてる。
そんな気がするんです。

だから、スマホはできる限り使わない。
私はそう決めているわけであります。

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