時代祭は平安遷都1100年の奉祝行事として建築された平安神宮の創建と共に始まったお祭りです。
明治維新から始まり、平安遷都された延暦までの各時代の装束を着た約2000人の人々が、京都御所を出発して平安神宮までの道のりを行進します。
私も20年前に一度参加したことがあります。
今日も多くの観光客が沿道からスマホを片手に沿道から応援されていました。
時代祭は平安遷都1100年の奉祝行事として建築された平安神宮の創建と共に始まったお祭りです。
明治維新から始まり、平安遷都された延暦までの各時代の装束を着た約2000人の人々が、京都御所を出発して平安神宮までの道のりを行進します。
私も20年前に一度参加したことがあります。
今日も多くの観光客が沿道からスマホを片手に沿道から応援されていました。
山科盆地を東西に走る国道一号線。
その南に平行する道、それが妙見道です。
妙見道の東の端にその名の通り妙見寺があります。
このお寺の創建は古く桓武天皇が都の四方に配置した星の宮の一つとも言われています。
古来より眼病を治すとされ随分と賑わったそうです。
本尊は妙見大菩薩で、北極星や北斗七星の神様だそうです。
ここで少し疑問をもたれた方もいらっしゃるのでは?
菩薩は仏なのに神とは??
そうです。
妙見様は日本土着の神道と仏教が一つとなり信仰された宗教なのです。
妙見道には昔 鳥居があり、いまはお寺の向かいに移設されています。
そこからも神仏習合が見て取れます。
今日は物件の調査の途中でその妙見寺のご本尊が降臨された岩を撮影してきました。
少し荒れていますが、歴史ある妙見寺とともにこの岩も少しずつでも整備していくことが、リレーのバトンのように、祖先から託された定めのような気がしました。
京都の人は「いけず」(意地悪)だと言われます。その有名な例として取り上げられるのが「京のぶぶ漬け」です。ぶぶ漬けとはお茶漬けのことです。
お客が帰ろうとしたとき、奥さんがこう言って引き留めます。
「ぶぶ漬けでもどうぞ。」
それを真に受けて、「そうですか! ではお言葉に甘えて。」なんて居残ると、奥さんはあわててお茶漬けを用意し、笑顔でお客さんを送り出してから、「あの人、厚かましい人どっせ…」なんて悪口を言われる。京のぶぶ漬けとはそんな話です。
私は半世紀以上も京都に住んでいるわけですが、実はぶぶ漬けを進められたことは一度もありません。
もっとも、井上章一さんの「京都ぎらい」にも記述されておりますとおり私の住まいは山科なので、行政区的には京都市内にあるけれど「京都」ではありません。
京都にはいわば中華思想のようなものがあって鉾町と言われるコアな京都の人からすると、山科なんて「京都」とちゃうと言われましょうし、山科に住んでるから「ぶぶ漬け」の話も知らんねんと叱られそうです。
話を戻しますと、何でぶぶ漬けを勧めたら帰っての合図なのでしょうか?
それについてはこんな説があります。ぶぶ漬けはご飯、多くの場合は冷やご飯にお茶をかけただけの粗末な食事です。お客様を引き留めるからには、本当は手の込んだおもてなし料理を供したい。だけど恥ずかしながら「いま家にはお茶漬けでしかおもてなしできません。ごめんなさいね。」
「ぶぶ漬けでもどうぞ。」にはそんな意味が込められている。だから、お客さんはそれを察して「お気持ちは嬉しいですがこれで失礼します。」と言うのが礼儀なんだよ、と。
それがわかってしまえば何でもない挨拶ですね。大阪の「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんなぁ」と同じノリです。
そんな遠回しでなくもっとストレートに言ったらいいのにと思いますが、京都はチロリン村でとても狭いコミュニティですから、言葉をオブラートに包んで、できるだけ諍いにならないようにしたのでしょう。
外国では自分のことを120%主張しなければならないと言われますが、京都は真逆で、50%も主張せず後は察してくださいという「忖度する文化」をもっています。
そんな文化をもつ京都にいま、外国人のお客様があふれています。せめて外国からのお客様には、京都人は言葉足らずにならず、親切でわかりやすいコミュニケーションで素敵な京都の思い出をお持ち帰りいただくよう接したいものです。ぶぶ漬けを食べると言われたら、塩こぶと千枚漬けも出せるぐらいの心の余裕を持って(笑)
昭和51年10月1日に山科が東山区から分区され、今年で40周年となります。
本日は門川大作市長をはじめ多くのご来賓参加のもと、東部文化ホールにおいて記念式典が開催されました。
式典では山科区の発展のために貢献された方々に、市長及び市長から表彰表彰状が授与されました。
その後、京都橘大学名誉教授 田畑泰子先生により、「中世山科の人々の暮らし」と題した記念講演が開催されました。山科七郷と呼ばれる住民自治の仕組みや当時の人々の暮らしぶりを資料に基づき説明され、大変興味深く拝聴しました。
朝から大雨でしたが、牛尾山 法厳寺に行ってきました。
今日は第40回全国育樹祭の一環として法厳寺に桜が植樹されることとなり、その植樹祭に参列しました。
桜は2種類でひとつは信者の植木屋さんが寄贈されたソメイヨシノ。
そしてもうひとつが京都御所内にある宗像神社の山桜です。
法厳寺は山科で最も古い寺院で、かつて天地天皇が都を大津京に遷都した際、法厳寺を訪れ桜と紅葉をお手植えされたそうです。
法厳寺の麓には「桜の馬場」と呼ばれる場所も残っています。
しかし平成25年の台風18号の大雨で土石流が発生し、桜はほとんどなくなりました。
このたびの桜21本の植樹で近い将来再び、法厳寺は桜のお寺と呼ばれることでしょう。
満開の桜に彩られる参道から境内で、いつかまた花見を楽しみたいものだと思いつつ、お寺を後にしました。
京都では正月の松の内は丸く削った白箸を使います。
白箸は箸紙に入れられ、箸紙にはその人の名前を書く風習です。他はどうなのかな?
その箸紙について桂米朝さんがおっしゃっていたエピソードがあります。
何年ぶりかで、正月に突然ふらっと祇園のお茶屋を訪れた。
席に着くとすぐ酒肴が用意された。
正月なので箸はもちろん白箸。
その箸紙には「桂米朝」と墨書されている。
その墨の乾き具合からみて今々書いたものではない。
今年来るかどうかもわからない自分のためにちゃんと箸紙を用意してくれている。
その心配りに感心したというものでした。
またこんな話もあります。
「お久しぶりどす」
昨日の夜も来ていたお客様に対しても、祇園の花街ではこう挨拶するそうです。
「いつもおおきに。」なんて言えば、お連れの方や他のお客に、「このおっちゃん遊び惚けとる。」と思われ、お客様の肩身が狭くしてしまうからだとか。
外国では自分のことをちゃんと主張するのが肝要だと言われます。
しかし日本では、「主張」される前に心配りで相手の気持ちを察してさりげなくサービスする文化があります。
そんな対極的な文化は、きっと外国人(てか、ふつうの日本人にも?)新鮮であると思います。
お も て な し …
さりげない気配りに感動するホスピタリティが祇園の花街にはあります。
仕事先で素敵な朝顔を発見しました。
そういえばスイスでこんな話を聞いたことがあります。
訪れたスイスの小さな町では、草原にハイジが住んでいそうな木造家屋がポツン・ポツンと点在しています。
その家々の窓には溢れんばかりの花々が飾られています。
ガイドさんの説明によると、スイスでは窓辺にたくさんの綺麗な花を咲かせる女性ほど、良い奥さんだと称賛されるのだそうです。
家の中も花を飾ってあるのでしょうが、世間の人に花を見せるために窓辺に飾るって素敵なことだなぁと感心しました。
花は人の心を和ませますものね。
今年、山科区は区制40周年を迎えます。
その事業の一つとして、山科区を花と緑でいっぱいの潤いのある美しいまちにするために「山科区フラワーロード推進事業」を実施されています。
40歳を迎える山科が花で飾られ華やかになることを楽しみにしつつ、うちの会社の前にある小さなプランターに植えた花に水をやる私なのであります。
南禅寺の三門をくぐって奥に進むと突然、レンガ造りの工作物が姿を現します。
水路閣ですね。
これは上を琵琶湖疏水が流れる水路橋です。
まるで古代ローマの水道橋を彷彿とさせるレンガ造りのアーチ型橋脚がこの南禅寺の境内にあることに驚きます。
しかし違和感はなく、むしろ東山の静かな風景に溶け込んでいるのが不思議です。
当初予定していたトンネル予定地に天皇家の墓所があることから、急遽コースを変更して造られたのがこの水路閣です。
景観を壊さないよう配慮されたデザインは、今は観光名所になるほど市民に親しまれています。
ぜひ、蝉の声のシャワーと共に水路閣を見学してみてください。
明治の先人たちの国造りへの意気込みが感じられるに違いありません。
以前、行徳哲男先生の講演を拝聴しました。
先生のお話は一つ一つが心に響き、私の生涯で聞いたもっともすばらしい講演の一つであったと思っています。
その中で、広隆寺の弥勒菩薩についてのお話がありました。
20世紀最高の哲学者と言われたカール・ヤスパースが広隆寺を訪れ、弥勒菩薩をみて「私はあれほどま完成された微笑の顔を見たことがない」「人類が作り上げた最高の美」と絶賛したそうです。
弥勒菩薩の慈悲深い微笑み・・あのお顔はたくさんの過ちを犯してたどりついたものだ、とヤスパースは悟ります。
人々があの弥勒菩薩を見てなぜ心が救われるのか、その訳を理解したのだそうです。
人は過ちを犯すもの。しかしその過ちへの後悔の積み重ねが、人の痛みも苦しみも共感できる人へと成長させてくれるのかも知れませんね。