京都では正月の松の内は丸く削った白箸を使います。
白箸は箸紙に入れられ、箸紙にはその人の名前を書く風習です。他はどうなのかな?
その箸紙について桂米朝さんがおっしゃっていたエピソードがあります。
何年ぶりかで、正月に突然ふらっと祇園のお茶屋を訪れた。
席に着くとすぐ酒肴が用意された。
正月なので箸はもちろん白箸。
その箸紙には「桂米朝」と墨書されている。
その墨の乾き具合からみて今々書いたものではない。
今年来るかどうかもわからない自分のためにちゃんと箸紙を用意してくれている。
その心配りに感心したというものでした。
またこんな話もあります。
「お久しぶりどす」
昨日の夜も来ていたお客様に対しても、祇園の花街ではこう挨拶するそうです。
「いつもおおきに。」なんて言えば、お連れの方や他のお客に、「このおっちゃん遊び惚けとる。」と思われ、お客様の肩身が狭くしてしまうからだとか。
外国では自分のことをちゃんと主張するのが肝要だと言われます。
しかし日本では、「主張」される前に心配りで相手の気持ちを察してさりげなくサービスする文化があります。
そんな対極的な文化は、きっと外国人(てか、ふつうの日本人にも?)新鮮であると思います。
お も て な し …
さりげない気配りに感動するホスピタリティが祇園の花街にはあります。