来宮神社

熱海の来宮神社は、その神前で 征夷大将軍 坂上田村麻呂 が戦勝を祈願したとも伝えられる神社だそうです。
わが街、山科にも坂上田村麻呂の墓があり何か因縁を感じます。

昔は、熱海湾で漁の網にかかった木の根を神体としたところから「木の宮」神社とよばれていたとか。
さすが木をご神体とする神社らしく、神殿の裏に楠の大木が威風堂々と鎮座されていました。

この木はパワースポットとしても有名です。
確かにその圧倒的な存在感に畏れを感じました。

願い事を思いながら木の周りを歩くと叶うとか。
私も一つお願いをしてきました。

内容?
秘密です!

願いがかなったら必ずお礼参りに行こうと思います。

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熱海

仕事で熱海に行ってまいりました。
徳川家康も入湯したといわれる古くからの有名な温泉郷です。
残念ながら今まで訪れたことがなかったのですが、仕事の関係で訪問する機会を得ました。

どこの温泉街もさびれている昨今、熱海にも往年の勢いがないのかもしれません。
それでも、さすが熱海。
多くの観光客がひしめいていました。

綺麗な夜景に癒され、温泉で体の奥の疲れを溶かしてまいりました。
今日からまた頑張ります!

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もう一つの家族

核家族化が進み、三世代同居は20%を切り、未婚の子供との同居世代が70%を超えています。
その70%がやがて夫婦だけ、そして独居となる。
また未婚率の上昇で独居も増えている。

そんな状況の中、弊社が管理するアパートでも、ほとんどが高齢・独居の皆さんです。
独居の皆さんはそれぞれの結びつきが希薄で他とかかわられない。
いわゆる「無縁社会」といわれる所以です。

ところで最近、ある物件で「ご近所づきあい」ができているのに気付きました。
おかずをあげたり、もらったり..
椅子を並べて皆で夕涼みしながらおしゃべりしたり..

皆さん独居ですが、こうした繋がりってとても大事だと思います。
行政がサービスをしようと思ったら莫大な予算と人手が必要です。
でもご近所の日常的なつながりでそれぞれを思いやる関係ができれば、それはとっても素敵だし心丈夫であると思うのです。

夕方、皆さんの笑い声が響くのを聞いていると、血縁的には独居だけれど、社会的には新しい家族ができている。
いいぞ、いいぞ!
「お帰りなさい!」ってかけていただく言葉に、「ただいま!」と言いつつ、思わず笑顔がこぼれる私なのであります。

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蹴上 車石

昔、大津から京都への道は地道で、特に雨が降れば物資を運ぶ牛車がぬかるんで難儀した。
そこで牛車の車輪が煮えこまないように、大津から京都の間、3里の道を石で舗装したそうです。
その石はやがて頻繁な牛車の通行で削られ溝ができた。
それを車石と呼んでいます。

祖父も父も、この坂を大八車を引いて荷物を運んだそうです。
うちの庭にも車石の一部が飾ってあります。
祖先の努力があって今がある。
車石を見るとそんな感謝の気持ちが湧いてきます。

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琵琶湖疎水

私の好きな散歩道が琵琶湖疎水。
うちの会社から5分ほどの距離にあります。

流れる水音
風にそよめく木々

ゆっくり散歩していると気分転換ができるのは当然ながら、物事を考えるのもいいです。
さながら私の哲学の道?
西田先生に叱られますね。哲学するほど頭ありませんし。

写真の左手の柵は天智天皇陵です。

すこし川幅が広く流れが緩やかなところがあって、昔は小学生がプールの代わりに泳いでいたそうです。
いまでは小学生の代わりに、大きな鯉が悠然と泳いでいました。

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天国の余り風

私は20歳から農作業をしています。
父が障害者であったこともあり母と二人で慣れない米作をしてきました。

特に暑い季節の作業はきつい。
体中から滲みだす汗をぬぐいつつ、柿の木の下に影を見つけ二人で座ってお茶を飲みながら一服(休憩)します。

すると涼しい一陣の風。
火照った体を冷やしてくれます。

「あ~涼し。天国の余り風やな。」
そんなときよく母はそう言っていました。

自分語を作るのが得意な人でしたから、「天国の余り風」なんて言葉が一般に使われているのか、母が勝手に作ったのかは定かでありません。
でも、言い得て妙な表現だと思いませんか?

今日も、蒸し暑い中で作業したあとの休憩中に、天国の余り風が吹きました。
病院で寝たきりの母は、もう動くことも、話すこともできません。
でも暑い作業をしている息子を思い、涼しい風を吹かせてくれたのかもしれませんね。

さて、もう少し頑張ります。
ではまた!

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光秀の塚

先にご紹介した明智光秀の塚の近くで仕事があり撮影してきました。
三条通りと白川が交差するところから左岸を南へ50mほど行った路地の奥にその塚はあります。

ちょうど角に和菓子屋さんがありますのでそれを目印に東へ。

これが光秀の首塚です。

ちょっとかわいそうなくらい小さいですね。

立札があったのでその記載内容を転記しておきます。

「明智光秀の塚」(京都市)
天正10年(1582年)、本能寺にいた君主の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城に逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われて自刃、最期を遂げたと言われる。
家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている。

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chot bar nakajima

お客様のお嬢さんが経営されているお店「chot bar nakajima 」さん。
一度伺わなくてはと思いつつ、やっと行ってきました。

とても美人さんでビックリ。
店内は女性らしく清潔です。

カウンターの真っ赤な椅子がとても座りごごちが良くて快適。
ついつい長居してしまいそうです。

「さぱりしたお酒を」とお願いしてみたら
イメージどおりのお酒が出てきました。

カウンターの一番入口側にダダとピグモンがいてました。

ちょっと笑けるでしょ。

chot bar nakajima
気軽にチョット立ち寄ることができてとてもいいお店です。
ぜひ行ってみてください。

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平安神宮と夕焼け

平安神宮の鳥居と夕焼けが一緒に撮影できましたのでアップします。

平安神宮は古からの神社と思いきや、その歴史は案外新しいのです。
鳴くよウグイス平安京
794年の平安遷都から数えて1100年後、すなわち1894年に京都で開催された内国勧業博覧会に合わせて創建されました。
したがって120年ほどしか経過していないことになります。

1976年に放火により大極殿以外が焼失し、3年後に再建されました。

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「仁王門 うね乃」

友人の采ちゃん(うねちゃん)が6月7日におうどん屋さんをオープンしたとの案内をいただき行ってまいりました。
店名は「仁王門うね乃」
このお店は京都のお出し屋さん「うね乃」が経営するうどん屋さんで、采ちゃんはそこの社長さんです。

明るくて音楽好きの彼らしく、和のお店に流れるのは粋なジャズ。
とても雰囲気のいい作りです。
一品もののつまみもあるようで、夜は飲んで食べて〆はうどんみたいな使い方もできそうです。

私は肉うどんを頼みました。
関東ではうどんのお汁も真っ黒なのに驚きますが、ここのお汁は金色に輝く薄い優しい色をしているにもかかわらず、味はしっかりと出汁が利いて濃厚です。
「お好みで山椒をどうぞ!」と勧められました。
山椒はお出汁の味を邪魔せず、とてもおうどんにマッチしています。

味は…
これを見ていただいたら何も説明はいらないかと(笑)

是非行ってみてください。
おすすめです。

仁王門 うね乃

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