先にご紹介した明智光秀の塚の近くで仕事があり撮影してきました。
三条通りと白川が交差するところから左岸を南へ50mほど行った路地の奥にその塚はあります。
ちょうど角に和菓子屋さんがありますのでそれを目印に東へ。
これが光秀の首塚です。
ちょっとかわいそうなくらい小さいですね。
立札があったのでその記載内容を転記しておきます。
「明智光秀の塚」(京都市)
天正10年(1582年)、本能寺にいた君主の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城に逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われて自刃、最期を遂げたと言われる。
家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている。