先週末は滋賀での仕事でした。
田舎は自然がいっぱい。
休憩中に見ると、普段何でもないと思う雑草が花を咲かせ、その美しさに見とれてしまします。
近畿は昨日、梅雨が明けました。
でも梅雨明け前にもうトンボが飛んでいました。
自然の変化で季節の移ろいを感じるのも田舎の良いところです。
こんなところでのんびり暮らしたら、時間の流れもゆっくりで少しでも歳をとるのが遅くなるんじゃないかな…などと考えたりしてしまいます。
家のすぐ近くにあるケーキ屋さんです。
昔ながらのケーキ屋さんですが、ご主人は職人気質でしっかりとした仕事をされていてとのも美味しいです。
うちの家族の誕生日にはいつもここのケーキを買い蝋燭を立てて祝ってきました。
いままで何個、ここのケーキを食べたことになるんだろ…と考えつつ、たぷたぷしたお腹をさする私です(笑)
価格もとてもリーズナブル。
是非行ってみてください。
大阪万博の翌年に大ヒットした曲「戦争を知らない子供たち」
歌っていたジローズの杉田二郎さんは高校・大学の先輩です。
それはさておき、70年代は「戦争」をテーマにした歌が若者の間でヒットした。
戦争は知らなくても、戦争を体験した世代によって語られた数々の悲劇を通し、戦争が歴史の彼方にしまい込まれず、むしろまだ戦争を共有していた時代でもあったからかもしれません。
戦争を体験された先輩方から見られて、画面を通して放映される他国の血で血を洗う争いはどう映るんだろう…
それらをどこか他人事として傍観している私たちは、このまま無関心を演じているだけでいいのか?
何もできるわけではないけれど、それでも心がざわつくのは、かつて戦場へ赴いた方から「戦争は何があっても起こしてはいけない。」
そんな言葉を聞いた世代だからからだと思います。
話を「戦争を知らない子供たち」に戻します。
「戦争を知らない子供たち」には、それに対峙する存在として 「戦争を知っている大人たち」がいました。
私にとってはそのころの大人って、背筋をピンと伸ばして圧倒的な強さと優しさを持つカッコいい尊敬の対象でした。
時を経て、自分が大人と言われる年代になった今、自分は若者にどんな背中を見せているんだろう…
そう思って客観的に自分を見ると、やっぱりまだまだダメですね。
もっと自分を厳しく律しないと、とても尊敬される大人にはなれません。
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり…
もうその時すら超えてしまっているのですが、人生の第四コーナーを曲がった今こそ、もう一度自分を整えないといけない。
そんなことを思う今日この頃です。
★「戦争を知らない子供たち」★
亀岡は昔、明智光秀の領地でした。
光秀はご存知のとおり、本能寺において信長を討った謀反の将です。
しかし、氾濫する由良川の治水をすすめ農民を慈しむなど、地元の亀岡では大変な名君でした。
その光秀が天王山の戦いで秀吉に敗れ、私が住む山科で竹槍で突かれて息絶えます。
亀岡の農民に対して善政した光秀が、他の地で農民に殺されるというのもなんとも皮肉な話です。
知恩院の北側にほんとに小さくて地味なお墓があります。
それがなんと光秀の首塚。
これはまた今度撮影してご紹介しますが、裏切り者の末路ともいうべきびっくりするほど粗末な塚です。
しかし一方、名君として慕われた地元の亀岡では、谷性寺という立派なお寺に光秀の首塚が祀られています。
その門前では桔梗が綺麗に咲いていました。
桔梗は明智光秀の家紋。
農民を慈しんだ光秀への思いは、地元の亀岡では今もなお大切に引き継がれているのかもしれませんね。
宅建業をしていると「評価証明」は必ず必要です。
1つは固定資産税と都市計画税の清算金の計算の基礎として。
もう一つは所有権移転登記に必要な登録免許税の計算の基礎として。
昔は誰でも自由に交付してもらえたのですが、最近は個人情報だとして原則非公開、必要なら本人の委任状が必要となっています。
しかし上記のとおり、宅建業には必須の書類ですので、媒介契約書に評価証明書の交付をその会社の取引主任者に委任する旨の記載をしておけば、委任状がなくても媒介契約書と取引主任者証(来年の4月からは「取引主任士証」になるのかな..)があれば交付が受けられます。
私の会社から50mほどのところに「京都市証明書発行コーナー」がありますのでとても便利に使わせていただいております。
とても親切な職員さんばかり。
いつもお世話になり、ありがとうございま~す!
綺麗な夕焼けが撮影できたのでアップします。
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か…
こんなときに知らず知らずに口ずさんでいるのは
幼いころに歌った童謡です。
ところで私たちが幼いころ歌った童謡の多くは文部省唱歌でした。
しかし、時代にそぐわないと現代の教科書からは消えていっているそうです。
たとえば
「われは海の子」「村祭」「めだかの学校」「赤い靴」「汽車」「桃太郎」「背くらべ」「てるてる坊主」などなど..
この赤とんぼの3番も教科書から削除されました。
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
15で嫁に行くような時代もあったのだと思いをはせることもまた
教育ではないのかなぁと私は素朴に思ったりします。
昨日は亀岡での仕事が少し早く終わったため、出雲大神宮に寄ってきました。
出雲大神宮の宮司さんは私の友人であり、一度お伺いしたいと思いつつなかなか機会がありませんでした。
亀岡盆地の北東の山麓にあり想像以上に荘厳な神社でした。
また、出雲大神宮の近くには、まだしっかりと前方後円墳の姿を留める千歳車塚古墳もあって、このあたりが古代の豪族の一大拠点であったことが伺えます。