ニボルマブ

先日の日経新聞を読んで目に留まったのがこの「ニボルマブ」という薬。
これは悪性黒色腫(メラノーマ)が消滅する、新免疫薬の名称です。

これを開発した小野薬品工業は大阪に本社を置く中堅の製薬会社です。
この会社の際立った特徴は、研究開発への投資が桁外れに多いことだそうです。

石の上にも三年と申しますが、この薬を開発するまでに小野薬品工業は実に15年の歳月を費やしています。
15年間諦めなかった研究者たち、そして15年間、儲かるかどうかもわからないのに研究を続けさせた経営者。
その成果が、画期的な新薬の開発につながりました。

会社は営利企業である以上、利益を追求するのは当然です。
しかし、昨今は何かにつけて目先の利益に走ることが多いように思います。

じっくりと腰を据えて仕事をする。
私はその大切さを、この新薬開発の記事を読んで感じました。

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ふるやのもり

「ふるやのもり」という昔話があります。
ご存知ですか?

孫がおばあさんに尋ねます。
オオカミより泥棒より恐いものは何かと。
するとおばあさんは、それは「ふるやのもり」だと答えます。
実はそのとき、家の床にはオオカミが、天井には泥棒が潜み、その話を聞いています。

突然雨が降り、屋根から雨漏りがポトン・ポトン・・・
おばあさんが言います。
ほら、ふるやのもりがやってきた。

それに驚いた泥棒がオオカミの背中におっこちます。
オオカミは「ふるやのもり」が背中に乗ったと思い、
泥棒は「ふるやのもり」の上に落ちたと思い大慌て。
隙をみて泥棒は大きな木に飛び移りますが、木にあいた深い穴に落ちてしまいます。

オオカミの話を聞いたサルが長い尾で穴の中を探ります。
泥棒はサルのしっぽにつかまり外に出ようと引っ張ります。
とうとうサルのしっぽが切れ、サルは地面に顔をぶつけます。

だからサルはシッポが短く顔が赤いのだと。

前置きが長くなりました。
「ふるやのもり」
これを漢字で書くと「古家の漏り」

「ふるやのもり」とは古い家の雨漏りのことです。
この童話は、雨漏りは恐いもの。
放置してはいけないよと教えています。

弊社が管理している連棟の建物があります。
長年空家であった隣家が解体されたので共有していた壁面を確認してきました。
柱2本が完全に腐り、柱の機能をはたしていません。
大引(基礎の上に横に置く木材。その上に柱をたてます。)もシロアリが食ってスカスカになっています。

長年、雨漏りしていたのに放置された結果です。
連棟は柱や壁を共有するため、隣家のメンテナンスが悪いとこんなことになる…

大変いい勉強になったとともに、やっぱりとても恐いと思いました。

ふるやのもり

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人権研修会

今日は人権についてのお話しを聞いてきました。
講師は関西大学教授の石元清英先生です。

非常に重いテーマであり、深く考えさせられました。

差別を無くすのは容易ではありません。
それは人の心の中にある意識の問題であるからです。

しかし、差別を考えるとき私は、この人権標語を思い出します。

「同じです あなたと私の大切さ」

そう、自分が大切にされたいように、他の人も大切しよう。
そんな気持ちを少しずつでも周りに広げていこう。

そして人の痛みがわかる優しい社会を目指す。
それが大事なんだということを今日の研修で学びました。

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ガケとお家の話

広島の大規模な土砂崩れで、多くの尊い命が失われました。
被害にあわれた皆様には心よりご冥福をお祈りいたします。

ところで、宅地開発に伴い、傾斜のきつい土地にも家が建てられることがあります。
当然、傾斜地では土砂崩れのリスクがあるわけですから、一定の基準に該当する「崖」に接する土地に建築する場合はそれなりのルールがあります。
一言でいえば、土砂崩れを起こさない構造物を作るか、土砂崩れがあっても被害が最小限になるように規制をかけるかということです。

前者については擁壁などで崖をしっかり固める工事を施すことです。
後者については、土砂崩れがあっても大丈夫なように空地をしっかりあけるということです。

図を見ていただくとわかりますが、崖の高さの2倍の空地を空けなさいという条例が多いです。
とすると、崖の高さの2倍以内のエリアに家を建てる場合は、崖をしっかり固める工事を施すことなど、崖に一定の基準を満たす工事をしない限り建物が建てられません。

「じゃあ、そうすればいいじゃないか!」
確かにそうなのですが、問題はそう簡単じゃありません。
通常、傾斜地の場合、崖の下まで崖上の所有者が所有することが多いです。
崖から流れる水を排水するための排水路を作ることも多くみられることからもわかります。
とすると、崖下の所有者は、崖上の土地所有者がしっかりした擁壁を作ってくれる、あるいは作らせてくれない限り建築できないこととなるわけです。

また、何らかの事情で崖があるにもかかわらず、上記の「2倍のエリア」に家が建てられていて、崖の改修ができない場合に、その不動産を売却される場合には事実上「再建築不可」となります。

さらに注意すべきは「崖」が一見してわかるものだけでなく、ちゃんと基準をみたしていない高さ2m以上の擁壁などもこの「崖」に含まれます。
傾斜地での不動産を購入される際は、是非ご注意ください。

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今週のお花

紅葉した花と赤い実が、秋を感じさせます。

剣山を水盤の右に置いたのは、
枝を含めての全体のバランスを考えて、
花の中心と水盤の中心とを合わせるためでしょうか。

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門掃き

京都では「門掃き」(かどはき)という風習があります。
それは朝いちばんに玄関を掃き水を打つこと。

でもそれだけでは京都の門掃きとは言えません。

必ず自分の家の前だけじゃなく、少しお隣の分まではみ出して掃きます。
私も子供のころ、母によく言われたものです。
「自分の家の前だけ掃除するんと違うえ。お隣さんの前も掃かしてもらうのえ。」

「掃いてあげる」んじゃないのです。
「掃かしてもらう」んですね。

お互いがはみ出して「掃かしてもらった」ところは、お隣同士を結ぶ いわば「のりしろ」のようなもの。
そんなつながりが地域力を保つ要因かもしれません。

私は、そんな優しさや気配りのできる町 京都が大好きです。

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柿の日

今日は「柿の日」だそうです。

柿は私の大好物です。
それは過分に母の影響を受けています。

母も柿が大好き。
農作業の合間に、田んぼの畦の柿の木から、実をもいで食べている姿が思い出されます。
また、渋柿のヘタ側を焼酎につけ、しばらく寝かせると甘いゼリーのようになりますが、毎年、それをせっせと作っては半分以上自分で食べてはりました。
さらに、柿の電動皮剥き機を買って沢山の乾し柿も作ってました。
やっぱり半分以上自分で食べてました(笑)

そんな柿をたくさん恵んでくれた柿の大木も、圃場整備の際に切り倒され、代わりに植えた小さな柿ノ木が、今年は少し実をつけました。

ところで、どうして今日は「柿の日」なんでしょうか。
それは
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」
この句がよまれた日だからだそうです。
よんだのは正岡子規。

若くして病死した偉大な俳人もまた、柿が大好きだったそうです。

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世界のホテルマンに聞きました

世界のホテルマンに聞きました。
宿泊客の中で一番礼儀正しいのは誰?

その結果は、ダントツに日本人だそうです。
現地のマナーやエチケットを守り、最も行儀のいい観光客、それが日本人であるとか。

果たして5年後、10年後も このお褒めの言葉を日本人はいただけるのでしょうか?

最近 街でマナーの悪さやモラルのなさが気になりませんか。

昨日、運転中に信号待ちをしていると、前の車の人が窓を開け、灰皿をひっくり返してタバコの吸い殻を路上に捨てていきました。
私はただただ唖然とするばかり。

また、山科の駅前にベンチがあって、その周りの路上に黒い斑点が無数にあります。
人に聞いて初めて知ったのですが、あれはガムがこびりついたものらしいです。

おいおい、日本人。
シャキッとしようぜ!
思わずそう叫びたくなってしまいます。

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京都御所

今日は京都御所の近くで会議でした。
帰りに、御所をぶらぶら散策してきました。
京都のど真ん中にある広大な敷地にある京都御所。
いつでも皇族の皆様が帰ってこられてもよいように、美しく手入れされています。
出来れば皇族のどなたかがお住まいになっていただいたらいいのですが…

遠くにある大文字が見えますか?

途中、キノコを発見!
花が咲き、鳥がさえずり、木々が色づき実を結び、キノコが頭を出す。

京都御所は市民の憩いの場でもあります。

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お掃除をさせてください

家の会社の近くに一灯園という施設があります。
西田天香が創始した施設で、学校のほか農業研究所や建築、出版なども手掛けられています。

宗教団体か?といえばそうではなく、「大自然に許されて活きる」ことを信条とされています。
したがって我執を捨て無所有であっても、生きることに感謝し社会に奉仕するという形で還元すれば自ずと生かされるという思想集団です。

その修行の一環としてトイレを掃除させてほしいと言って来られます。

当社にも今日来られました。
社内が取り込んでいるので、私は階段のお掃除をお願いしました。
その方はとてもうれしそうに「ありがとうございます!」といってビルの上から下まで丁寧に丁寧に掃除してくださりました。
きっとその方は掃除を通じて、心の整理や精神の成長や、いろんな気づきを得られるのでしょうね。

私はお礼に缶コーヒーを一つお渡しして、深々とお礼を申しあげました。
その男性の後姿を見送りつつ、精神を鍛える人間は美しいなぁと感じました。

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