年を経、役職をいただくにつれお葬式に参列する機会が増えます。
そんな中で、今でも忘れられないお別れの会があります。
それは平成15年2月2日、44歳で急逝された裏千家ご次男 伊住政和さんのお葬式です。
伊住さんは間違いなく次代の日本文化を担うリーダーでありました。それがあまりにも突然に急逝されたのです。
私は商工会議所青年部でご一緒させていただき、爽やかで誰にも優しく接しられるそのお人柄に心酔いたしておりました。訃報を聞いたときは「何で・・」と絶句し、頭が真っ白になりました。
伊住さんを慕う人の多さは参列される人の多さに現れておりました。後で聞いた話では6000人もの参列があったそうです。
もし叶うことなら亡くなる前にもう一度膝を交えて親しくお話をさせていいただきたかった。今もそれが無念でなりません。
さてそのお葬式でのことです。
祭壇は今日庵に据えられ、いつも精力的に活動されていたあの伊住さんのお顔が遺影の中にありました。私はフラフラと焼香台に向かいました。長身の私は今日庵の低い鴨居に頭をぶつけそうであったようです。
そんな私に「頭に気をつけて」。
声をかけていただいたのは前お家元の千玄室様でした。
私の前にはすでに数千人の方がお参りし何時間も立礼をされていたはずです。しかもご子息の逆縁を見た親御さんという悲しいお立場でもあります。にもかかわらず、千玄室様は古武士のように厳しくも優しい眼差しで言葉をかけていただきました。
ありがたく思いつつ、私の心には茶道の本質を現すというある言葉が思い浮かびました。
「一期一会」
聞くところによると、玄室様は「一期一会」についてこんなふうに仰っておられるそうです。
茶では、「この方を私のところへお呼びして、お茶を差し上げたら、私は今日 死んでも満足」。
呼ばれる方も「今日、あなたのところへ行って、このお茶をいただいたら死んでも満足だ。」という、その決意なんですよ。
「死んでも」という言葉は大変厳しいですが、出会いというものは生易しいもんじゃないということです。
それが一期一会ではないかと思います、と。
茶道を極めた達人であるからこそ親として、もっともつらい状況の下でさえ、あんな風に自然に声をかけていただけた、私はそう感じています。
凡夫の私にはとても到達できる域ではありません。
しかし、一つ一つの出会いを大切に生きていきたいものだと思っています。