私が法学部に入学し、初めて書いた論文が「尊厳死」でした。
森鴎外の「高瀬舟」を題材に、尊厳死の可否を論じましたが、結論はどちらとも言えないというものでした。
それから35年の時が流れた今月1日、アメリカのオレゴン州で29歳の美しい女性ブリタニー・メイナードさんが尊厳死されたというニュースが流れました。
報道によれば、4月に脳腫瘍で余命半年と宣言された彼女は、ガンによる苦痛に苦しみぬいて死ぬより、尊厳死を選択されました。
目の前に差し迫った死は約束され、それに至る時間は耐え難い苦痛をともなうこともわかっている。
それでもなお説得力をもって「生きろ」ということは、実は非常に難しいことだと思います。
作者もタイトルも忘れましたが、大学の英書購読でこんな話を読んだことがあります。
舞台は医学が発達し人間が死ななくなった未来の世界。
そこでは人口が爆発的に増え、飽和状態です。
各家庭でも何代もの人が一緒に暮らしています。
部屋の一番いい場所に、最高齢の老人のベッドがあり、皆はその場所でゆっくり眠りたいと思っている。
最高齢の老人はある月末に死ぬと宣言していたのに、その時期を過ぎても死ぬ気配がない。
その世界で死とは自然死を待つことではなく、自ら選択するものとなっている。
こんなことが何度も繰り返されている。
約束通り早く死んでくれと、ほかの家族はみなそう思っている。
最高齢の老人は皆の思いはわかっている。
でも、健康だし生きているのは楽しいし、やっぱり死にたくない。
家の一番いい場所で眠りたいという理由で…
「死ぬ権利」を認め尊厳死を認めることは、恐ろしくつらい苦しみを逃れることができる。
その一方で、上記の最高齢者のようにその「権利」を行使できるのにしないことへの圧力が発生してしまうこともあります。
尊厳死の問題は、その可否と共にその要件もしっかり議論し社会で共有しないとそれは自殺の強要となる可能性があります。
「尊厳死」
これは人類に突き付けられた本当に難しい選択ですね。